【ボリビア協力隊奮闘記(2)】クリスマスは“家族のきずなを確かめる日”、朝の4時半まで続いた「ファミリートーク」

12月25日午前0時0分になると、タリハの街中から花火があがる

クリスマスは家族と一緒にいるもの――。恋人と過ごす“日本流クリスマス”に侵されていた私は、カトリックを国教に定めるボリビアに住んで、このことを初めて知った。意外だったのは宗教色をあまり感じないというか、東京のような盛り上がりもなく、いわば淡々とした“家族の日”だったことだ。季節外れとなってしまったが、ボリビア南部の街タリハのクリスマスを紹介したい。

クリスマスイブの深夜から朝にかけて、私は、自宅と同じ敷地内の大家の家に招かれていた。大家の家には、息子(30歳)、娘(26歳)、娘の2人の子ども(6歳と4歳)が200キロメートル以上離れた隣の県から帰省し、家族6人が勢ぞろいしていた。いつもは夫婦2人の静かな家だが、この日ばかりは家族団らんでとっても賑やか。ちなみにボリビアは夏休みの真っただ中だ。

大家の家では夕方から、タリハの伝統的なクリスマス料理「ピカーナ」を作り始めた。ピカーナとは、ニンジン・タマネギ・トマト・トウモロコシ・ジャガイモなどの野菜と、牛肉・豚肉・鶏肉・ラム肉の4種類の肉を長い時間じっくり煮込んだ豪勢な料理。トロトロした半透明のスープは、ベジタブルスープのようだがこってりもしていてとても美味しい。このスープを食卓に並べ、イエス・キリストが生まれた12月25日の0時0分に家族で一緒に食べるのがタリハのしきたりだ。

ヘビーな肉入りベジタブルスープを深夜にみんなで食べる習慣にも驚いたが、もっと驚かされたのは、ふだんは夜10時に就寝する大家夫婦が真夜中から、集まった家族と、この1年に起きた出来事について振り返り始めたことだ。

大家夫婦が司会役を務め、「今年はどんな病気にかかった?」「来年はどんな仕事をするの?」「どこのレストランがおいしいかな?」「パートナーとは順調なのか?」といったファミリートークが永遠と続く。

実は、私はクリスマスイブの夜は街が見渡せる高台にいた。そこで各家庭が一斉に打ち上げる花火を見ていた。その後、自宅に戻り寝ようとしたところ、大家から突然、電話がかかってきた。深夜の2時だ。「いま何している? 一緒にご飯を食べないか」
こんな遅い時間まで大家一家は何をしているのか、私は気になった。大家の家に行くと、ワインとピカーナがまず出された。酒を片手にファミリートークに巻き込まれ、「(青年海外協力隊で)どんな仕事をしているのか」「私たちに何か手伝えることはないか」と質問攻めにあった。気が付けば、時計の針は朝の4時半を回っていた。

私は思った。ボリビアのクリスマスは、家族のきずなを確かめる日なのだ、と。「クリスマスを家族と過ごすのはどうして?」と大家の息子に尋ねてみた。するとこんな答えが返ってきた。「クリスマスは、キリストが生まれた、1年で一番大切な日。だから僕たちも、自分が生まれた瞬間に一緒にいた家族と過ごしたいんだ」

ボリビア人が家族を大事にするのはクリスマスだけではない。この国では日曜日は家族と過ごすのが当たり前だし、また日ごろから家族のことを私にもオープンに聞かせてくれる。

「どうして家族といる時間をたくさんもつの?」と私は別の友人にも質問してみた。その友人は「家族といれば楽しいし、家族は助け合うものだろ? もし何かあったときに、家族の仲が悪かったらどうする? 助けたくても、手伝ってあげられない。だから家族とたくさんの時間を過ごすことが必要なんだ」と言う。

翻って日本。私を含め多くの日本人は、家族と過ごす時間が極端に少ないのではないか。そのせいだろうか、大切な人と過ごす時間が幸せ、ということすら忘れているように感じる。

海外で初めて過ごしたクリスマス。私は、家族を誇りに思い、大切にするボリビア人を羨ましく思った。この気持ちをもったまま、2年の任期が終わる1年半後に日本に帰国したい。(廣瀬大和)