問題だらけのミャンマー教育事情、今も尾を引く40年前の教育改革

弟のシャンさん(左)と姉のティさん(右)。「軍事政権下では、中古車の価格が38万ドル (2016年9月のレートで約3900万円)もしたんです」とシャンさん

「ミャンマーの教育は、内容面と制度面のどちらにも問題があり、それは40年前の教育改革に端を発していると思います」

こう語るのは、ミャンマーの教育事情に詳しいティカインミンウーさん(40歳)とシャントゥミンウーさん(33歳)姉弟。2人は元学生運動家の父を持ち、ティさんは英語教師として、シャンさんは旅行会社ミャンマーチェイヤ社の社長として、生計を営んでいる。政権に強い不信感を抱いていた父の方針で2人は公教育を受けず、必要なことは全て父から教わったという。彼らにミャンマーの教育問題について聞いた。

そもそもミャンマーにはどのような教育問題が存在するのか。

内容面で挙げられるのがパロットラーニング(オウム学習)と揶揄される教育方法だ。例えば英語の授業では、先生が発音した単語に続けて生徒たちが復唱するだけの授業も多いという。このような教育では当然、勉強の楽しみや本質を伝えることはできない。単語の意味もわからずただ復唱するだけの生徒も多く、学生たちは勉強に対する興味や能動的に考える力を失いがちだ。

試験重視の教育制度も問題だ。ミャンマーの教育は5歳からだが、毎年昇級試験が課される。試験に落ちると昇級が認められないため、落第した生徒の親が、公務員である教師の元へ賄賂を渡して合格させてもらうなど汚職にもつながる。また「コールガイド」と呼ばれる教師も問題がある。コールガイドとは家庭に呼ばれ、マンツーマンで科目を教える教師のことだが、その教育内容がオウム学習そのものを厳しく指導するという特徴から、通常の家庭教師とは区別されている。意欲の低い子どものために教育熱の高い親が雇うことが多いようだ。

このような問題は1948年の独立当初から存在していたのだろうか。ティさんもシャンさんも口をそろえて次のように言う。「ネウィン政権の教育改革によって教育の質は劇的に低下したのです」

国軍のクーデターでネウィン将軍が全権を掌握したのが1962年。ネウィン将軍は、知識人を恐れ、彼らの台頭を防ぐため教育を軽視した改革を1970年代に敢行した。シャンさんによると、オウム教育が始まったのもこの頃だという。またネウィン将軍はビルマ文字を変更して教育を妨害しようとした。結局新しいビルマ文字は定着しなかったものの、言語すら変えようとしたことは彼の信条がいかに強かったかを物語る。

1988年に起こった8888運動(大規模な学生民主化運動)によりネウィン将軍は政権から退陣した。しかし国家法秩序回復評議会(SLORC)による軍事政権が発足。全てが軍事第一主義となり、教育予算は低下した。1990年に設立された国軍傘下の国営会社ミャンマー・エコノミック・ホールディング(ウーバイ)はあらゆる産業を独占。その影響で当時のSIMカードは4000ドル(現在のレートで約41万円)だったという。

1970年代に端を発する教育問題は、アウンサンスーチーが権力を掌握した現在でも改善されていない。「40年続いた制度はそう簡単には変わらないものです」とシャンさんは言う。

しかし彼は希望に満ちた笑顔でこう続けた。「私はアウンサンスーチーさんを強く信じています。彼女がスピーチでたびたび言及しているように、教育改革の必要性を認識しているのは明らかです。今の教育問題が5年以内に改善するのは間違いありません」