セルビアにもいた「学問の神様」? 信仰と読書に捧げた聖サヴァ

セルビアの首都ベオグラードにある聖サヴァ大聖堂

いよいよ新学期。学業成就を願う者も少なくないだろう。日本ならそれを願うのは「学問の神様」菅原道真。似たような存在がセルビアにもいる。12〜13世紀に活躍した聖サヴァ。セルビア正教会の創設者としても有名だ。

彼は生涯を通して教育や勉学に熱心だった。そのため、セルビア人は聖サヴァを「学校と学生の守護聖人」と考えてきた。

その聖サヴァが「学校と学生の守護聖人」であると明確になる日がある。彼が亡くなった1月27日の聖サヴァの日(グレゴリオ暦では1月14日)だ。学校ではその日を祝い、詩や歌を捧げるという。さながら学問の神様のように崇拝されているのだ。

そんな聖サヴァのことを少しご紹介しよう。

父親は中世セルビア王国の創始者として名高いステファン・ネマーニャ。聖サヴァは3人きょうだいの末っ子だった。洗礼前の名をラストコといった。ラストコは幼少のころから、キリスト教への信仰心が篤く、読書に勤しんでいたという。父親は彼に国家統治の一翼を担わせようとしていた。

しかし、ラストコは16歳のとき、父親らの反対を押し切り、宮廷を離れてアトス山(現在のギリシャ北東部)の聖パンテレイモン修道院に入ってしまう。聖サヴァは修道院生活の当初から禁欲に徹した。修道院でも彼は神聖な書物を好んで読み、修道僧らの指示に耳を傾けたという。アトス山の他の修道僧らは次第にラストコに一目置くようになっていった。

彼が20歳になるころ、父親のネマーシャも退位。シメオンという洗礼名を受け、修道生活に入ることとなった。聖サヴァは父とともに、アトス山にヒランダル修道院を設立した。この修道院は、若い修道僧を教育し、書物の翻訳や執筆活動もするなど文化拠点となった。

こうした経緯からも、聖サヴァは「学校と学生の守護聖人」だ。しかし、セルビア人は聖サヴァをその側面だけで尊敬しているのではない。国民的聖人として慕っているのだ。

セルビアで見つけた聖サヴァ。バルカン半島の片隅で彼はきっと、セルビア人だけでなく、全世界の教育にかかわる者と勉学に励む者を見守っているに違いない。