【フィジーでBulaBula協力隊(9)】あなたのモノは私のモノ? シェア文化は“一種の保険”かも! 

フィジー人の村の晩餐会で夕食をシェアする町役場の同僚たち。レストランに行って一人一皿頼んでも、最後は結局みんなで分け合っている

「ちょっと時計を貸してくれ」「ジュースを分けてくれないか」「家までのバス賃がない」‥‥。1日にいったい何度、こんなことをフィジー人から言われているのだろう。青年海外協力隊員として私が活動するフィジーは、モノから食事、挙げ句の果ては「家」まで知り合いと共有してしまう“シェア大国”だ。今回は、モノの貸し借りについてのフィジー人の考え方を書いてみたい。

■モノを貸しても返ってこない

「コキ(私のこと)、書くもの何か持っていない?」。配属先の町役場に出勤すると、あいさつより先にフィジー人の同僚からこんな言葉が飛んでくる。オフィスに来たら出勤簿にサインをするのが町役場の決まり。フィジー人はペンを持ち歩かないから、一番に私に頼んでくる。でも実は、私は彼らにモノをあまり貸したくない。

理由は、フィジー人にモノを貸すと戻ってこないからだ。文房具はもちろん、今までハンカチやサンダルなどを同僚や知り合いに貸してきた。だがいずれも私のもとに戻ってこなかった。

「ほんの数分だからこれ貸して」とお願いにくるが、フィジー人は借りたら借りっぱなし。次に会った時には、あたかも自分のモノのように持っていることが多いから、余計に私の不信感は募ってしまう。

フィジー人に悪気がない、ということは私ももちろん理解している。生活用品から食べ物まで日常的にモノをシェアするフィジー人は、同じ感覚で外国人の私にも接しているだけなのだ。困っていた人がいたら助けるのは当たり前。これはフィジーの暗黙のルール。だから私も最初は、何か借りに来る人がいたら、お金を除き、極力断らなかった。

■返してと催促すると「他人に貸した」

といっても限度がある。さすがに私も業を煮やして、最近は貸したモノを取り戻そうと、フィジー人の同僚・知人にかけあっている。でも残念ながら戻ってくることはほとんどない。

キャップなしのペン、切り抜かれて穴だらけになった日本の雑誌、鼻緒の切れたサンダル‥‥。貸していたモノが運良く見つかっても、ボロボロの状態であることがほとんど。それに大抵の場合は催促すると「なくした」「他人に貸した」と言われるのがオチだ。

必要なモノが返ってこないのはやっぱり困る。だが私がイラッとする本当の理由は別にある。「モノは人から借りたら返す」「言葉にしたことは実行する」――約束を守ることが信頼につながる日本社会で育った私にとって、人から何か借りておいてそのままにしておくフィジー人の行動を受け入れるのは難しいのだ。もっといえば「貸して」とフィジー人が頼んでくるのはまだいい方で、黙って持っていかれることもざらだから、なおさらだ。

■ノーと言わせないフィジアンスマイル

フィジーに赴任した半年前、足りないものを仲間同士でシェアするなんてフィジー人らしいな、と微笑ましく眺めていた。ただ、現地の社会にどっぷり浸かり、何でもかんでも「貸してくれ」「シェアだ」と言われると、どうしてなかなか疲れてしまう。「生活用品くらいは自分で買ってくれ」と叫びたくなる。しかしフィジー人にしてみれば、そこにあるのになぜ買う必要があるのだろう、と思っているようだ。

今でこそ異常な輸入超過でモノがあふれかえっているフィジー。小さな島国の中で必要な資源を見つけるのに、フィジー人たちはかつて苦労したに違いない。貴重なモノを分け合うシェア文化はきっとその過程で、人々の間に浸透していったのだろう。

それに普段から周りに「貸し」を作っておけば、自分が困った時に相手からは「お互いさま」と助けてもらえる。シェア文化はフィジー人にとって一種の“保険”でもあるのかもしれない、と私は思っている。

こんな私の葛藤などいざしらず、フィジー人は相も変わらず「貸して」「分けて」と迫ってくる。貸したくないな、と私は心の中で戸惑いながらも、満面のフィジアン(フィジー人)スマイルでお願いされると、断りづらいのが正直なところ。ついつい彼らの笑顔に負けて貸してしまう自分がいる。ひょっとすると、便利屋として使われているだけかも、と思う時もある。

でも何か頼まれるということは現地社会に受け入れられている証拠、と私は自分に言い聞かせている。そして今日もフィジー人と私の「貸し・取り返し合戦」は続く。

(高野光輝)