青年海外協力隊員として私が活動するエジプト・ハルガダは紅海有数のリゾート地です。2011年1月25日に起きたアラブ革命の影響を直接受ける町のひとつでもあります。今回は、この革命がハルガダの女性たちに何をもたらしたのかをレポートします。
アラブ革命の余波を受け、ハルガダでは観光客がほとんど来ない日々が続いています。「いつになったら観光客は戻ってくるのだろう」と、近所の土産物屋の人たちやタクシーの運転手、エジプト社会連帯省の私の同僚らは口々に言います。なかでも女性たちが心配するのは「夫の稼ぎが少なくなって、生活が厳しくなった。私ももっと働かないと」という現実です。
観光立国エジプトにとって観光業は2番目の外貨収入源です。観光客の減少は、ツアーガイドや土産物屋はいうまでもなく、スーパーマーケットやタクシーなどの業種にも大きな打撃を与えています。減った収入をカバーしようと値上げする動きも出てきて、それに反対するデモも各地で起きています。
こう書くとアラブ革命は、庶民の生活を苦しめるばかりなのか、と読者は思うかもしれません。ですがもちろん良い面もあります。一例として私の友人の話を紹介しましょう。
私の活動先のひとつである女性支援NGO「エル・ミーナ」は、子どもたちが遊べる児童館を併設しています。この児童館で働く女性にナグワさんがいます。
ナグワさんの夫は、副業としてタクシーの運転手をしています。夫婦には4人の子どもがいて、生活にお金がかかるため、革命前に彼女の夫はローンを組み、クルマを購入。タクシーの運転手を始めました。
ところが皮算用は外れました。アラブ革命が起き、観光客がパタッと来なくなったのです。
ナグワさん一家に残されたのは多額のローン。革命から1年半が過ぎたいま、観光客は少しずつ戻ってきましたが、それでもローンとガソリン代を引いた後のタクシー運転手としての収入は1カ月で200エジプトポンド(約2600円)しかありません。けれどもタクシー運転手を辞めれば、ローンは返せなくなります。ナグワさんは「いつになったら観光客が戻ってくるのかしら」とため息をつきます。
家計を助けるため、ナグワさんは革命後、ビーズ製品の制作に精を出し始めました。児童館で働き、家事や育児に忙しい中、空き時間を作っては新作を考え、バザーにも出展しました。
彼女の作品は徐々に売れるようになりました。その収入で開いた食事会には私も招いてくれ、「テーブルに並んでいる食事は私の収入で用意したの」とちょっと自慢げに話すナグワさんの顔を私は忘れません。
なぜ、彼女はここまでビーズの制作に没頭したのでしょうか。ビーズの制作が好きだったこともありますが、別の理由もあります。ひとつはナグワさん自身に働きたいという意思がかねてあったこと、そしてもうひとつは、夫の収入が減ったことで「働く妻」を夫が認めざるをえなくなったという状況があると私は考えます。
「生活が苦しい」という話はこのところ、よく耳にします。そのためなのか、人より少しでも売れる商品、きれいな商品を作ろう、と自分で考える女性が増えた気がします。「(女性が)家族を支えるんだ」という思いがこうした意識改革を促しているのでしょう。
ハルガダにはまだ観光客は戻ってきていません。しかし働きたいけど、周囲の反対があってなかなか仕事を続けられないと悩んでいた女性にとって、この不況は「チャンス」なのです。また、仕事をすることによって、新しい友だちやパンを安く手に入れる方法、自分で服を作る方法など「収入以外のモノ・コト」もたくさん得られます。
アラブ革命後の不況が多くのエジプト人の生活を苦境に追い込んでいます。しかしエジプト人女性に限ってみれば、「生きる世界」を広げるチャンスになっています。もちろん、これを革命の「良い」結果だと決めつけてしまうのは早計ですし、外国人の身勝手な解釈に陥っている可能性もあるかもしれません。でも今回の革命がここハルガダの街角に、何らかの「変化」をもたらしたのは紛れもない事実です。
私を含め、エジプト人女性の支援に携わる者にとっては、このチャンスをどうやって女性たちの自立に生かせられるかがいま問われています。
辻野 恭子(つじの・やすこ)
エジプト紅海県のハルガダで活動する青年海外協力隊員(職種:村落開発普及員)。1985年生まれ、大阪府出身。大学時代にエジプト政府の奨学生としてカイロ大学へ1年間留学。大学卒業後、約2年半の教育系出版社の営業職を経て、2011年1月から、社会連帯省ハルガダ支局家族・産出部で活動中。エジプト人女性が作る手工芸品の品質管理・向上と販路開拓をサポートする。2013年1月に日本へ帰国予定。