私の活動先であるコロンビア・カルタヘナの保育園で“足りないこと”をやろうと思って、私が始めた活動が「食育」と「体育」の時間だ。この内容は12回目の連載で書いた。今回は、そこに至るまでの過程とその後についてつづってみたい。
コロンビアの保育で重視されるのは「見た目」だ。こういうことをやっていますよ、と保育士は自分の仕事ぶりをPRすることに余念がない。だから子どもの代わりに保育士が作品を作って、それを掲示するのは日常茶飯事。子どものためというより、「保育士中心」の保育になっているのが現状だ。
対照的に、日本の保育は「子ども中心」。保育園は、子どもにとって学ぶ場であり、心身ともに育つ場だ。それを保育士や周りのスタッフがサポートする。これは当たり前のように見えて、実はそうではない。コロンビアに来て一番痛感したことのひとつだ。
そこで私が提案し、担当する「食育」や「体育」のクラスでは、子どもたち自身が野菜を栽培したり、みんなで縄跳びを飛んだりしている。大切なのは、ひとりひとりの子どもがかかわること。“コロンビア流保育”では、子どもたちは常に椅子に座って過ごしているが、それだと子どもたちは遊びながら社会性を学べない。
そうしたある日、私が保育園に行くと、コロンビア人の保育士らが「食育週間」と銘打ったイベントを開いていた。この期間中、甘い果物、酸っぱい果物、野菜などを子どもたちに見せ、フルーツヨーグルトを作ったりして、食べさせていた。子どもたちを畑に連れて行く保育士もいて、子どもたちは土に触れながら、栽培方法を学んでいた。
私は驚いた。コロンビア人の保育士が率先して「食育」と「体育」に取り組む姿を見たことがなかったからだ。と同時に少し悲しい気持ちに襲われた。理由は2つある。第一に、彼女たちのクラスは私のそれより魅力的だったこと。第二に、私はもう要らないのではないかと思ったことだ。
私は落ち込んで、この話を他の青年海外協力隊仲間に話した。すると「君がきっかけを作ったんだよ。それが一番大事なことなんじゃないかな」と私を慰めてくれた。
ひょっとすると、コロンビア人の保育士たちも心のどこかで、子ども中心の保育をやりたいと思っていたのかもしれない。でもその「きっかけ」がなかった。そのきっかけを私が与えたことで、子ども中心の保育が始まったと考えることもできる。だとすれば私は嬉しい。
きっかけを作ることは、2年しかコロンビアにいられない協力隊員にとっては大きな使命だ。もちろん私自身も、ここカルタヘナで「食育」と「体育」の活動を帰国する日まで続けたい。だがそれは私の自己満足のためではなく、私なりの「子ども中心の保育」のやり方をコロンビア人保育士に見せ、私が帰国した後も、良い部分を継承してもらうのが目的。そうなれば私にとって本望だ。