フィリピン政府は1992年から、スラムや線路の脇など危ない場所で暮らす人たちを郊外へ強制移住させるリロケーションプロジェクトを実施してきた。移った人たちがその場所に定住するには雇用機会が欠かせない。フィリピンのNGOガワト・カリンガは「貧困を終わらせるためにコミュニティを作る」をモットーに、マニラ首都圏の近郊で、NGOならではのリロケーションプロジェクトを進めている。
ガワト・カリンガが用意した移住地はブラカン州アンガットにある。移住地の名前を「エンカント」(スペイン語で「魅力」の意)と付けた。最大の取り組みは「観光地化」することだ。住人は、マニラやアンガットなどの出身者ら約100世帯。
エンカントには、レストラン、宿泊施設、スパ、オーガニック農場、養鶏場、大学、社会企業家に貸し出す施設などがそろう。移り住んだ人たちはそこで働ける。家を自分で建てれば家賃も要らない。必要なのは、移住地の入り口のゲートにいる警備員に払う給料だけだ(1世帯あたりの負担額は1週間20ペソ=54円)。
エンカントのすごさは、暮らしていける収入を得られるため、移り住んだ人全員が定住したこと。ただ、すべてが順調なわけではない。エンカントで見つかる仕事の職種は限られている。移住前と同じような仕事に就けるのは少数だ。農園で働く約30人のうち農業経験者はわずか3人。「作業は非効率でミスが絶えない。運営は難しい」と農園のプログラムマネージャーは苦笑いする。
エンカントの事例はかなり特殊だ。海外のNGOや国内外の企業からの援助が成功をバックアップしているという事情がある。リロケーションプロジェクトの多くは政府が主導し、「バランガイ(最小の行政単位)全体」で移住させる大規模なものも少なくない。この場合、家賃が回収できなかったり、雇用機会の提供などアフターケアが不十分だったりとするため、移住者はスラムなどに帰ってしまう。
政府のプロジェクトで2013年5月に、マニラ市トンドのごみ山に近いスラムから約450世帯が移住したブラカン州ボカウエでは実際、仕事を求めて約半数がマニラ市へ戻った。
ボカウエの移住先で外国NGOが運営する幼稚園で職を得た女性は「衛生的で安全な場所に住めるのは子どもにとって本当に大切。でも、やっぱり仕事がないとどうしようもない」と打ち明ける。移住者らは、引っ越しの資金を工面するために借金したり、自分の家電製品を売って、現金収入を手にできるごみ山や都市部のスラムに移っていった。
リロケーションプロジェクトの移住地は都市から離れているのが一般的だ。このため、現金収入を得ることが困難で、また物価も高い。海外のNGOが運営する幼稚園で職を得ることができたボカウエの住人は「私たち家族は幸運だった。仕事が見つかったから」と喜ぶ。仕事にありつける人はほんの一握りだ。
移住地を用意しても、仕事がなければ、誰も定住してくれない。ひいてはスラムもなくならない。雇用創出の「壁」はとてつもなく大きい。