フィリピンでは英語の能力が人生を左右するといっても過言ではない。学歴社会のこの国では英語能力は高学歴の証明。出稼ぎに行くことが「有能」とされることもあって、英語は出世のためには不可欠となっている。
憲法は国語をフィリピノ語(タガログ語とほぼ同じと考えていい)と定めている(英語は公用語)。にもかかわらず、理科や算数の教科書は英語で書かれているし、授業も英語。小学校の低学年の教室に張ってある「教室での注意事項」もまた英語だ。大学入試は英語で行われ、大学の講義もほとんどの大学で英語だ。法律や裁判記録などの公的文書や公的機関のウェブページにも英語が使われている。
■留学生と同じクラス!
フィリピンのトップ3といわれるフィリピン大学、アテネオ・デ・マニラ大学、デ・ラ・サール大学には、フィリピン育ちなのに「英語のほうが得意」という学生が少なくない。裕福な家庭の子どもは、小さいころからすべての授業を英語でする私立校に通い、家族との会話も英語。アメリカのポップカルチャーを見ながら育つためだ。
アテネオ・デ・マニラ大学では、初級~中級のフィリピノ語の授業では、受講者25人のうち、留学生は5人で、10人はフィリピン人の帰国子女(カナダ、オーストラリア、中東、アメリカなどから)、10人はフィリピン育ちのフィリピン人学生だった。多くのフィリピン人学生はリスニングには問題なく、単語は知っている。だが文法を理解していないため、留学生とともに文法を学ぶ。
学生のひとりは「家族とも英語でしゃべるし、高校までも授業は英語だったし、英語の方が楽なの」と話す。友人との日常会話も基本的に英語だ。フィリピノ語を使うのは「家にいるメイド(家事労働者)や大学のスタッフと話すときだけ」。
■英語偏重は仕方ない?
フィリピノ語はなぜ、教育現場で使われないのか。それには「仕方ない」側面もある。たとえば「教育」という単語ひとつとっても「edukasyon」と書くようにスペイン語からの借用語だ。フィリピノ語には学術用語が極端に少ない。専門用語は英語をそのまま使用する。英語があまり話せない人でも、大きな数字は英語で数える。病名も、かぜなどの身近なものを除けば英語。携帯電話や冷蔵庫なども英語をそのまま使う。
フィリピン政府は2013年、教育改革として「K12」を発表し、「母語による教育の強化」を掲げた。理系科目も“母語”での授業を推奨する。だが、少なくとも上級階級の人たちにとっての母語は英語。加えて、それぞれの地域の言葉で授業をするにも語彙不足の問題があって、現状では不可能に近い。英語偏重主義は変わりそうもない。
英語偏重主義が学歴格差を生み、その延長線上で所得や情報の格差につながるという現実。英語偏重主義はフィリピン人の出稼ぎを後押しする半面、格差という大きな陰を社会に落としている。