ベトナムに意外に多いドイツ語話者! 6万5000人の元出稼ぎ労働者の名残

ベトナムでは驚くことに、ドイツ語を話せるベトナム人とよく出会う。国際的に主流な英語でも、旧宗主国の国語フランス語でもなく、ドイツ語だ。その真相を探るため、ベトナムのNGO「全ベトナム市協議会(ACVN)」で働くドイツ人女性マリオン・フィッシャー氏とハノイにある国民経済大学のファム・ティエン教授に話を聞いた。(聞き手=有松沙綾香)

■労働力不足をベトナム人でカバー

――ドイツ語を話せるベトナム人はなぜ多いのか。

フィッシャー氏「理由は2つある。1つは、ベトナム人が旧東ドイツで働いていたこと。もう1つは、学生として勉強していたことだ。

東ドイツ、ベトナム両政府は1980~89年に、ベトナム人労働者を東ドイツに送り込む『労働協定』を結んでいた。そのころ、約6万5000人のベトナム人労働者と約3000人のベトナム人学生が東ドイツで暮らしていた。その名残だ」

――両国の政府はどうして労働協定を結んだのか。

フィッシャー氏「1980年ごろ、東ドイツは深刻な労働力不足に悩まされていた。その補てんとしてベトナム人を必要とした。だから労働協定を結んだわけだ。

労働協定は、社会主義国同士のつながりでもあった。東ドイツは、同じ社会主義であり隣国のポーランドやハンガリーからも労働者を受け入れていた」

――この労働協定はベトナム側ではどんな反応だったのか。

ファム教授「1980年ごろ、ベトナムは最貧国のひとつだった。ベトナム政府にとってみれば、出稼ぎ先を確保できる労働協定は必要だった。またベトナム国民にしてみても、理想郷に映っていた東ドイツへ行くことは『夢』だった」

――夢というのは、ベトナム人にとって東ドイツでの暮らしが良いという意味か。東ドイツの生活は実際どうだったのか。

ファム教授「東ドイツに渡ったベトナム人の多くは繊維工場で働いていた。月給は800~1200マルク。現在の貨幣価値にすると最低1000ユーロ(約13万7000円)だ。この半分をベトナムの家族に仕送りしていた。給料とは別に飛行機代や住居費ももらえた」

■帰国支援に60万円を支給

――良い暮らしだったのに、ベトナム人はなぜ母国に戻ってきたのか。

フィッシャー氏「1990年の東西ドイツ統一後、旧東ドイツ再建に取り組むドイツの景気は悪化した。ドイツ政府に予想以上の財政負担を強いたからだ。失業率は40%にも上ったといわれる。

そのためドイツ政府は雇用政策を打たざるを得なくなった。その1つが、ベトナム人労働者をベトナムに帰すことだった。帰国支援として、ベトナム人1人当たり3500マルク(現在の貨幣価値で約60万円)を支給した」

――ベトナム人をドイツ政府が強制的に帰国させたということか。

ファム教授「それはない。東西ドイツが統一され、民主主義となった旧東ドイツに、ロシアやチェコ、ハンガリー、ポーランドなど隣国から多くの不法移民がドイツに流入した。そのためベトナム人は治安の悪化と失業の恐れという将来への強い不安を感じて、帰国した。支援金は、帰国という選択を後押した。ドイツ人にとってもベトナム人にとっても利益があったはずだ」