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「自分が拾った量のごみは捨ててもいいんでしょ」
「ごみのポイ捨てはいけません。ごみ箱にちゃんと入れましょう」
マリパの学校ではきちんとこう教えている。ポイ捨てを見られると先生からもとがめられる。みんなでごみを拾うイベントも時々開かれ、黒いビニール袋を持って、校内や広場などでごみを拾う。わずか30分で見違えるようにすっきりする。
しかしその翌日にはもう、ごみが散らかっている。せっかく拾ったのに。
その理由を高校生に尋ねると、「先生だってポイ捨てしているし‥‥。幼いときにごみのポイ捨てはいけないって親から注意されたこともない。さっきごみを拾ったんだから、それと同じ量のごみはまた捨ててもいいんでしょ、とみんな思っている」。
マリパでは老若男女のほとんどがごみをポイ捨てする。この行動を人々、とりわけ若い世代はどう捉えているのだろうか。「ごみをポイ捨てする人は好き? もし恋人がポイ捨てする人だったらどうする?」と聞いてみた。
ヘネシス・ロドリゲスさん(12歳)は「カッコよくて、優しくて、お金を持っていて、頭が良ければ、ごみをポイポイ捨てたって構わないよ。私も彼と一緒に捨てちゃう。どうせ下級労働者が拾ってくれるでしょ」と気にも留めない。
この意見がフツー。ごみを拾うのは階級が下の人のやることだと思っているのだ。
まだ少数だが異なる考えの持ち主もいる。ネイラ・コレアさん(16歳)は「もし恋人がポイ捨てする人だったら、まず注意をする。それでも止めなければ別れる。友だちのひとりは、恋人がごみをポイ捨てするのを目にして、本当にその彼と別れたよ。『もうポイ捨てしないから考え直してくれ』って彼に頼まれたけど、どうせまたやるに決まっているから許さないって」。
この違いはどこからくるのだろうか。ネイラさんがその謎を解き明かしてくれた。
「小学校に通っていたとき、『ごみは捨てるな』と担任の先生にものすごくしつこく教わった。それまではキャンディーの包みやボトルも瓶もなにもかも道に捨てていた。だけど(熱帯は日差しが強いから)火事の原因にもなるでしょ? 唾をペッと道に吐くみたいに行儀も悪いしね」
ごみのポイ捨てはいけない、とはみんな知っている。しかし、どうして捨ててはいけないのかという実感が伴っていない。ごみを捨てることに罪悪感も覚えない。ポイ捨てする人が嫌われる風潮もない。またずっと住んでいると「この村はごみだらけで汚い」との感覚すら失われていく。早い話、ポイ捨てしないための動機付けも、また理由も足りないのだ。
結局のところ、ごみ教育を執拗に続けるしか改善策はないのだろう。ポイ捨てはやはり一朝一夕にはなくならない。なにしろ、ポイ捨て自体が文化かどうかはともかく、その奥深くには文化が絡んでいるのだから。(続き)