【環境と開発の接点(4)】地球は誰のもの? “自分”ばかり気にする国民性 ~「オーナーシップ」を考える~

マリパの家はカラフルだ。青や緑、黄色、ワインレッドのペンキが外壁にきれいに塗られている。おしゃれな国民性なのだろう。“自分の家”だから、丹念にメンテナンスをしてカッコ良さを保つ

家の壁はいつもカラフル!でも一歩出ると‥‥

家を見てみよう。

マリパの家はブロックにトタン屋根を載せるだけ、とその作りはいたって質素だが(家は自分で建ててしまう)、必ずと言っていいほどどこの家も外壁にはカラフルなペンキがおしゃれに塗られている。

熱帯のマリパは太陽の日差しが強いし、雨季には激しいスコールにも見舞われる。家も決して新しいわけではない。なのに、ペンキはほとんど剥げ落ちていない。なぜだろう、と赴任当初から不思議に思っていたのだが、その謎はクリスマス前に解けた。

この国にはクリスマスの習慣のひとつに、家の内外の壁を塗り直すというものがあったのだ。特にくすんだわけでもないのに、一家総出で何日もかけて新しくする。壁の色を毎年変えたり、と強いこだわりをもつ人もいるという。“自分のモノ”だからこそ、ペンキ代を捻出し、メンテナンスに手間ひまをかけるのだろう。

“自分のモノ”と“他人のモノ”――その境界線はどこにあるのか。自分の家、いつも通る道、いつも通う学校やオフィス、いつも遊ぶ公園、いつも自分がいる村、自分の村の周りの川やサバンナ、自分の国、自分の地球‥‥。

マリパの住人は所得税も、いやそれだけなく電気代や水道代もまったく払っていない。自分の家は自腹を切って建てるが、自分の村は、オイルマネーが潤沢な中央政府の資金ですべて整備してもらう。自分の懐を痛めていないから、自分の村を“自分のモノ”と感じにくい側面があるのも事実だろう。いずれにしろ、オーナーシップの領域をいかにして広げていくかが環境意識を高める際のキーポイントになる。

エコロジーの語源は、ギリシャ語のオイコス、日本語に訳せば「家」。やっぱり、一人ひとりが“地球を自分の家”と思わなければダメなのかもしれない。「自分の家」なら誰でも大切にするから。(続き

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