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ビンやペットボトルの「ふた」はどこに消えた?
集めたごみを体重計を使って計測してみた。そしたらなんと300キログラム近くもあった。
1時間ちょっと、数百メートルの道を1本そうじしただけなのに。しかも拾い残しもたくさんあるというのに。
ごみのほとんどはびん、かん、ペットボトルなどの容器だ。そのとき、あることに気が付いた。
「待てよ。容器のふたがひとつもないじゃないか。どこに行った?」
私が大騒ぎして周りの人たちにこう尋ねると、「さあ。そんなの知らないよ。ま、どっちでもいいじゃない。小さいし」と興味なさそうに返事をする。
ふたはどこに消えたのか、村の中を探し回っていたら、「はっ」と気が付いた。道路のアスファルトに目をやる。そこに、めり込んでいたのだ。
飲み物を買ったらたいていの場合、店先ですぐにふたを開けて飲み始める。そしてじゃまなふたは即捨てる。その上をクルマが何台も通り過ぎていく。気が付けば、とくに硬いふたは壊れずに、アスファルトにめり込むのだ。だから店の前の道には、たくさんのふたが滑り止めのように化している。
止まらないごみのポイ捨て。ではこの惨状をどうやって打開すればいいのだろう。
そこで思い当たったのが「割れ窓理論」(ブロークン・ウインドー・セオリー)という考え方。社会問題、とりわけ治安を回復させる際にヒントとして使われるもので、ごみ問題にも適用できる。このセオリーの中身を簡単に説明すると次のようになる。
アメリカ合衆国のあるところにクルマを路上駐車して放置しておいた。何日経っても何も起こらない。ところがクルマの窓ガラスを1つ割ってそのままにしておくと、数日後、カーステレオ、エンジン、タイヤなどが次々に盗まれていったという。
つまり、窓ガラスが割られていなかったら誰も何もしないのに、ちょっとした乱れがあるとそれが呼び水となって、社会の秩序が大きく乱れる、ということ。治安問題を例にとると、小さな秩序を保つことが窃盗などの軽犯罪の発生を防ぎ、ひいては殺人などの重犯罪防止につながるという。
これをごみ問題に置き換えれば、ごみが落ちているからみんながポイ捨てする。ごみがなければ、誰もポイ捨てしない、ということになる。
日本では、ごみ拾いをしている姿を人々に見せることで、「ポイ捨てしないでね」という意識をいくらかは喚起できるし、タバコを吸う人だって、ごみひとつ落ちていないきれいな街では吸殻のポイ捨てもためらうだろう。いわば「割れ窓理論」は機能するわけだ。
ではマリパの村を徹底的にそうじして、路上からごみを一切排除したら、どうなるのか。ひょっとしてポイ捨てはグッと減るのかもしれない。期待を込めてこんな疑問を、ベネズエラ環境省マリパ事務所の同僚であるミレイサ・フィゲラさん(35歳)にぶつけてみた。
「それはありえないわ。マリパをみればわかるでしょ。広場は毎朝そうじされているけど、いつも午後にはもうごみが落ちているよね」
ごみ拾いのこのイベント、1週間後に2回目をやった。まったく同じ場所をそうじしたのだが、さらに40キログラム弱のごみが出た。
ごみだらけの道や公園で遊びながら育った子どもたち。彼らはごみに馴染み過ぎている。ごみに慣れきってしまった目の瞳に、ごみは映らないのだ。(続き)