東日本大震災(3.11)が起きてから半年が過ぎた。被災地支援に乗り出した国際協力NGOも少なくなかったが、被災地と彼らのつながりを3回にわたって考えてみたい。第一回は、途上国の貧しい人たちを助けるという“本来のミッション”との狭間で悩みながらも、東北支援に踏み切った国際協力NGOの舞台裏をフォーカスする。
■シャプラニール、支援しないで後悔したくない
3月11日。南アジアで貧困撲滅に取り組む国際協力NGO「シャプラニール」の筒井哲朗事務局長はバングラデシュに出張中だった。「現地のテレビで惨状を知ったが、被害のあまりの甚大さにショックを受けた」
国内の災害であるにもかかわらず、シャプラニールは急きょ、東京の職員と役員を網羅するメーリングリストを作成し、対応を協議する。指揮官である事務局長が日本に不在というなか、3月13日、震災のための救援募金を呼びかけることを決定した。
ただ職員や役員の間には「これだけでいいのか」といったうやむや感が残っていた。東日本大震災は、被災エリアが広く、被害の規模も大きい。行政だけではとうてい対処できないのが一目瞭然だったからだ。
筒井事務局長が帰国した翌日(3月16日)、シャプラニールは、今度はスタッフを集め、震災対応について再び話し合う。「支援すべきではない」「慎重に判断すべき」といった後ろ向きの意見がまったく出なかったことから、シャプラニールはついに、東北に出向いて支援することを決断する。設立以来39年の歴史で、国内の災害に対して本格支援するのは初めてのことだった。
実は、シャプラニールは1995年の阪神・淡路大震災の際にも、被災地支援に出るか出ないかを議論した。このときは「国内で活動するために、支援者は寄付したのではない」「会員(シャプラニールは会員団体)の同意がないと、約束が違うということになりかねない」――といった批判的な見方が大勢を占めた。またマンパワーやリソースを割かないといけない現実も足かせとなって、結局、募金集めにとどめ、直接的な支援を見送ったという経緯がある。
ところが、シャプラニールが阪神・淡路大震災で支援活動をしなかったことに対し、「後日、『がっかりした』『どうして出ていかなかったのか』といったマイナス評価もあり、このことはいまでも忘れられない」と、16年前のやりとりを筒井事務局長は振り返る。
言うならば、今回の決断の背後にあるのは、窮地に陥った人を助けたいというDNAをもつ国際協力NGOとして、この忸怩たる思いを二度と繰り返さないという強い意思だ。支援に行かずして後悔したくない、ととらえることもできるだろう。
シャプラニールは3月中旬以来、福島県いわき市勿来(なこそ)地区の災害ボランティアセンター立ち上げに参画するなど、いまも、いわき市を中心に復興支援活動を進めている。
■JVCの会員7割「国際協力NGOも国内災害に取り組むべき」
3.11が国内の災害で初の支援となった国際協力NGOはシャプラニールだけではない。アジアやアフリカなど世界9カ国で地域開発や人道支援を手がけるNGO「日本国際ボランティアセンター(JVC)」もそうだ。被災地支援に出向くと英断したことについて、JVCの清水俊弘事務局長は「悩みに悩んだ」と正直に打ち明ける。
JVCは支援決定まで実に2週間かかった。その理由は、1つは団体の性格からして緊急支援する心積もりがなかったこと。そしてもう1つは、阪神・淡路大震災や新潟県中越地震(04年)でも小さな間接支援の“実績”しかなかったからだ。3.11が起きた当初も、国際協力という役割を削ってまで被災地に入っていくべきなのか、と疑問を感じていたという。
本業の途上国支援に目を移すと、JVCはこれまで、パキスタンの大洪水(10年)やインドネシア・スマトラ島沖地震による津波(04年)などの災害にかかわってきた。だが、途上国と日本では事情がまったく異なる、と清水事務局長は言う。
「途上国では、インフラの欠如、民族間の対立、治安の悪化など、多くの違った問題がある。だから外部者として関与する意義は大きい。だが日本ではインフラも整備されているし、行政も機能している。災害ボランティアセンターも立ち上がって、ボランティアも全国から駆けつける」
それでも支援に踏み切ったのはなぜか。未曾有の災害だったことに加え、「(JVCがシンパシーを感じる)漁民や農民も多く被災している。『何かしら手を差し伸べるべき』との空気が事務局内に立ち込めていた」(同)からだ。
そこでJVCは、国際協力とのバランスを崩さず、無理ない人員体制で進めるという前提で、被災地の「復興」を支援することに決めた。ならば、復興フェーズに入ってから被災地に行って状況がわからないという事態を避けるため、3月末から、宮城県気仙沼市の災害ボランティアセンターの運営をバックアップし始めた。
「(JVCは)国際協力NGOなので、災害ボランティアセンターのコーディネートは慣れている。だから無理のない入り口。スタッフを入れて地域を学ぶには最適だと思った」(清水事務局長)
ただ気になるのは、国際協力NGOが被災地を支援することに対するステークホルダー(利害関係者)の反応だ。
東北支援の是非についてJVCは7月、会員を対象にアンケートを実施した(会員の6%に当たる70人が回答)。これによると、「国際協力に携わるJVCが国内災害に取り組むことをどう思うか」との問いに対し、実に7割以上が「海外での緊急支援の経験もあるので積極的に取り組むべき」と回答。「国際協力に専念すべき」という意見は皆無だった。
■外資系NGOの苦悩、ハビタットは家を建てられず
被災地支援を決定するにも、一筋縄でいかないのが外資系NGOだ。日本のNGOとの最大の違いは、決定権が本部(海外)にあること。それだけにどうしたって“日本人の思い”が伝わりにくい。
世界中の被災地に家を建てることで有名な国際NGO「ハビタット・フォー・ヒューマニティ」の場合、米国本部とタイ地域本部が、震災対応について約1週間検討。本部とハビタット・ジャパンが合同で東北支援に動くことを決めた。しかしその裏では、外資系ならではの喧々諤々とした議論が交わされていた。
ハビタット・ジャパンの理事を当時務めていた伊勢崎賢治氏(東京外国語大学教授)は、本部に対して「被災地に家を建てるのはもちろん、現地の事情に通じている日本人をマネージャーに据えるべきだ」と主張。これに対して本部は「ダメだ」と頑として首をたてに振らなかったという。
伊勢崎氏は「米国にとって、日本はしょせん被援助国。ドナーから集めた資金をきちんと管理したい、ということだった」とその理由を説明する。この対立後、伊勢崎氏はハビタット・ジャパンの理事を辞任した。
韓国・江原道で06年夏に洪水が起きた際、ハビタットは「マッチボックスハウス」(臨時移動住宅)を作り、被災地へ次々と送るプロジェクトを実行し、成果を上げた。「3.11でも同じことができたはず。東京で組み立てて、トレーラーで被災地へ運ぶ。東京で広い場所を借り切ってやれば、ボランティアも動員できるし、お祭りのような効果がある。この取り組みはおもしろいのに、日本で実現できなくて本当に残念だ」(伊勢崎氏)
ハビタットは結局、本部主導のもと「災害対策チーム」を立ち上げ、日本国内の災害では07年の能登半島地震に続いて2度目となる支援に乗り出した。だが、肝心の活動内容は「資金の上限もあり、無責任になりかねないから、家は建てない」という本部の方針を受け、家屋の泥のかき出しにとどめている。
ハビタット・ジャパンの山崎顕太郎事務局長代理は「本部が絡んだほうが、ハビタット・ジャパンのキャパシティーと資金だけより良い」とメリットを強調する。だが仮設住宅の建設が遅れていた当初、もしマッチボックスハウスが被災地に提供されていたら、そのインパクトは小さくなかったはずだ。
国際協力NGOの論客でもある伊勢崎氏は「国際協力NGOであっても、被災地支援をするのは当然。問題はやり方だ。国際協力のノウハウを生かせないのなら、やらないほうがいい」と力説する。
国際協力NGOの被災地支援を「NGO・NPOが陣取り合戦をしているだけ」と揶揄する向きもある。国際協力NGOがその批判を跳ね返し、真価を発揮するには「国際協力のノウハウ」を生かせるかどうかにかかっているといえるかもしれない。(つづく)