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2011年3月に民政移管を果たしたミャンマー(ビルマ)。だが民主化の陰で、同国西部で暮らす少数民族ロヒンギャへの迫害は激しさを増している。この事実は日本ではほとんど報道されていない。ロヒンギャが置かれる壮絶な状況について、在日ビルマロヒンギャ協会のゾーミントゥ会長に聞いた。このインタビューは2回に分けて掲載する。(聞き手=有松沙綾香)
■ミャンマー政府がロヒンギャを殺す
――ロヒンギャへの迫害はどんな状況なのか。
「仏教徒の少数民族であるアラカンが剣や槍、自家製の銃、弓矢などで武装し、ミャンマー西部のアラカン州で、ロヒンギャの村を焼き払っている。
2012年10月の焼き討ちでは、アラカンだけでなく、ミャンマー政府軍や警察も加担した。ロヒンギャの家に火を付け、家から逃げてきたロヒンギャを、外で待ち受けていた軍人や警官が銃殺した。死体は炎の中に放り込み、証拠を隠滅する。これまでに破壊された家はおよそ5000戸にのぼる」
――政府や警察も一緒になってロヒンギャを虐殺しているということか。
「人を守るべき政府の人間が、人を殺しているという事実が起こっているなど信じられないだろう。ロヒンギャの女性に対するレイプも後を絶たない。
それだけではない。ロヒンギャは、ロヒンギャ同士であっても結婚は自由にできないし、家も自由に建てられない。何の人権も認められていない」
――ロヒンギャとアラカンはなぜ対立するのか。
「もともとロヒンギャとアラカンは同じ地域で一緒に暮らし、一緒に仕事もしていた。
だが1978年ごろから、ミャンマー政府軍がロヒンギャを殺害、レイプするようになった。アラカンは仏教徒だから、同じ仏教徒のビルマ族を中心とする政府軍に洗脳され、ロヒンギャを差別するようになった」
■宗教差別からすべてが始まった
――どうしてロヒンギャは差別されるのか。
「1948年に英国から独立したとき、ミャンマーは民主主義だった。ロヒンギャも差別されることなく、1961年の政権の中にはロヒンギャの大臣1人と5~6人の国会議員がいた。
だが1962年、軍人によるクーデターが起き、事態が大きく変わった。民主政権の中枢にいた人たちは捕まり、軍事政権が始まった。軍事クーデターの首謀者である故ネ・ウィン将軍(当時)は、仏教の国を作るために、他の宗教を差別し、イスラム教徒であるロヒンギャへの迫害を始めた」
――どうしてロヒンギャだけが迫害されるのか。
「イスラム教徒だからだ。キリスト教を信仰する民族は欧州がサポートした。だからミャンマー政府は手を出さなかった。だがロヒンギャは後ろ盾がなく、お金もなかった。ネ・ウィン政権はロヒンギャを激しく嫌い、殺害し、女性をレイプした。
これらの差別行為はすべて、ロヒンギャをミャンマーから追い出すための虐待だ。ミャンマー政府の目的はロヒンギャの国外追放だ」
■迫害から逃れる場所も術もない
――ロヒンギャにとって、ミャンマーで虐待された生活を送るよりも、国外に逃げたほうが安全ではないか。
「どこへ逃げるのか。ロヒンギャの総人口およそ300万人のうちおよそ150万人がすでにバングラデシュ、サウジアラビア、パキスタンなどに避難した。残りは150万人。これ以上は受け入れられない、とバングラデシュ政府はすでにロヒンギャを追い返している」
――日本や欧米などの先進国が受け入れるべきか。
「それはできないだろう。難民はロヒンギャだけではない。ロヒンギャだけでもおよそ300万人いるのに、どうやって受け入れるのか。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の食料援助も一時的で、バングラデシュの難民キャンプで生活するロヒンギャは、食料不足や病気で死んでいっている」
■偽造パスポートを作るお金はない
――ゾーミントゥさん自身はどうやって日本に来たのか。
「ブローカーから偽造パスポートを手に入れ、1998年に日本に入国し、2002年3月に難民認定を受けた。
私は、ヤンゴン大学の学生だった1996年、軍事政権に反対する学生運動でリーダーを務めていた。ある日、政府関係者が大学に来て、大学側に、学生たちの声を反映させるから、学生運動をやめさせるように言った。それを信じて私たちは学生運動をやめた。
ところがその夜から、政府は学生運動に参加していた学生たちの家に行き、学生たちを捕まえ始めた。私は知り合いの家に逃げていたから、免れた」
――他のロヒンギャもゾーミントゥさんのように、国外へ逃げられないのか。
「どうやってそんなことができるのか。偽造パスポートを作るためには、たくさんの書類を用意しなければいけないし、お金も必要だ。家族みんなが逃げることは不可能。ひとりひとり逃げるのがやっとというのが現実だ」
ゾーミントゥ氏
ミャンマー・アラカン州出身。ロヒンギャ族。在日ビルマロヒンギャ協会会長。1998年に偽造パスポートを使って来日。2003年3月、ロヒンギャとして初めて難民認定を受ける。来日してから最初の8年は渋谷と六本木のレストランで働き、その後、群馬県館林市の工場で3年勤務する。11年間働いて貯めたお金を資金に、2009年、埼玉県川越市でリサイクル会社を興す。結婚して3人の子どもがいる。