“シリアの春”は誰のための戦いか、シリア人の切実な叫び「民主主義より人命を」

シリアからヨルダンに着の身着のままで逃げてきた15人きょうだい。夜は0度近い冬。家の中であっても寒かったが、子どもたちの底抜けに明るい笑顔に、私が逆に勇気づけられた

「シリア人が選択した行動(アサド政権を倒そうとする民主化運動)は、先を考えない浅はかなものだ。こんなやり方はすべきでなかった」

これは、付き合いの長い私の友人(シリア人)で、シリア政府軍の招集から逃れるためにヨルダン・アンマンへ避難し、現在はシリア難民を支援するNGOに勤務するアハマドさんの言葉だ。彼が私に心情を吐露した2012年8月当時、私は、援助機関の仕事でアンマンに赴任したばかりだった。前述の発言を聞いて、ずいぶんとクールで他人事のような見方だな、と驚かされた。

ただ現実は、アハマドさんの家族は国外に脱出せず、紛争下にあるシリアの首都ダマスカスの郊外に今もとどまっている。また彼の友人の多くが殺されたことを、私は後で知った。日本人の私とは違い、彼は紛れもなくシリア紛争の当事者のひとりだった。

私はこの時まで、シリアで進行中の“革命”(紛争)をはっきりと批判するシリア人に出会ったことがなかった。シリア人のほとんどが、アサド大統領がいかに魔王であるかについて熱弁を振るい、アサド政権を倒すために反政府勢力「自由シリア軍」を応援している、と言った。

だがシリアで紛争が勃発して2年。アハマドさんと同じような考えの持ち主が増えてきたように思う。私は2005~07年、青年海外協力隊員としてダマスカスで活動したが、そのころからのシリア人の友人で、ヨルダンに避難中のムハンマドさんは2012年末、久しぶりに再会した私に対し、絞り出すように語り始めた。

「シリアでは毎日、道端で人が殺しあい、そして死んでいく。シリア人が望む『自由』とはいったい何なのか。何のために多くの人が命を落としていくのか。紛争でシリア人は何を得たのか」

泥沼化していくシリアの紛争。この2年で、死者6万人以上、難民60万人以上、国内避難民300万人以上を出したといわれる。シリアの人口は2200万人だから、この紛争がいかに凄まじくシリア国民を翻弄しているかわかるだろう。

ムハンマドさんは続ける。

「シリア人のひとりとして私も、シリアは変わるべきだと感じていた。でもこんな方法ではない。シリア人の中にある大事なものを破壊してではない。多くのシリア人は、シリアのことを思い、守りたいと思っている。自由や民主主義はこんな形では訪れない。シリアのこと、シリアの歴史、子どもたちのことを考えてほしい。もう破壊は十分だ」

シリアの子どもたちにとって、戦闘機の爆音や銃声を聞かずして、平穏に眠れる日々はない。こんな環境で、彼らはどんな大人に育っていくのだろう。

「子どもたちの顔、目をしっかりと見てほしい。シリア人同士が殺しあうのを目の当たりにする子どもたち。学校にも行けないし、十分に遊べない。人殺しのこの連鎖は、子どもの将来の自由と民主主義のためなのか。違う。多くのシリア人にとって、自由や民主主義なんてもはやどうでもいい。今はただ、殺しあいが終わることを願っている」

ムハンマドさんは最後にこう嘆いた。

「シリア人にこういう話を振っても、『お前はアサド派か。アサド政権を持続させたいのだろ』と言われる。だから、シリア人には話さないし、話せない。どうか、このメッセージを世界の人たちに伝えてほしい。日本人なら、アサドも反アサドもないだろう。この破壊をきっと止められるはずだ」(ヨルダン=田村雅文)