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■電子辞書からはさみまで‥‥
青年海外協力隊としてジャマイカにやって来て1年が経過した。私はいま、配属先であるジャマイカのNGOのプログラム「Trash to Cash(ごみを現金に)」の専任スタッフとして、毎日1~2の小学校を訪問。リサイクル工作を児童に教えている。
時には2時間かけて山の奥の小学校に赴くこともある。アジア人と直に接する機会のない子どもたちは、私に興味津々。近寄ってきて、歓迎してくれる。リサイクル工作を楽しむ子どもたちの姿を見るのは、とても嬉しい。
ただひとつ悩みがある。実はこの1年で、私は多くのモノを失くした。電子辞書、はさみ3本、定規3本、えんぴつ2本、ボールペン1本、子どもたちに見せるために作ったリサイクル工作のサンプル‥‥。これらは、訪問先の学校で子どもたちに盗まれた。
リサイクル工作を教えていると、絶え間なく子どもが群がってくる。私は、作り方への質問にひとつひとつ答えているので、周囲に気を配る余裕はない。また、ジャマイカの小学生は、日本みたいに、自分の文房具を持っていない。だから私は毎回、のりやはさみを持参し、貸すことになる。
授業が終わって片付けていると、たまに見つからないものが出てくる。はさみやのりは高価ではないし、リサイクル工作のサンプルも売り物ではない。だから惜しむ気はない。ただ、貸したものは返してほしいと心から思う。
もちろん、すべての子どもたちが盗むわけではない。なくなったモノを探すのを手伝い、他の子どもが持っていったものを取り返してきてくれる子どももいる。
■授業中にサンプルを盗む児童
訪問先のひとつで、ペットボトルのキャップを材料に使った宝石箱の作り方を教えた時のこと。サンプルとして持参した宝石箱を見て、子どもたちは目を輝かせた。欲しそうだったが、私はこれまで、「お願い。特別にこれちょうだい!」と子どもからいくら頼まれても、「これはサンプルだからあげられない」と断ってきた。
授業が終わって、帰ろうとすると、サンプルの宝石箱が見つからない。子どもたちが作業する間、手に触って見られるようにと机に置いたのは確かだ。
その時、1人の女子児童が私に近づき、自慢げに言った。「私の作品、見て!」
ジャマイカの子どもたちは自分の作品を大人に見せたがるので、これはいつもの光景。よくできたね、と褒めようと視線を上げた瞬間、私は驚いた。その作品は、飾りこそちょっと変わっていたが、間違いなく私が作ったサンプルだった。
「これは、もともと私が作ったものだよ。どうしてこんなことしたの?」。私は穏やかに尋ねた。すると女子児童は「私じゃない。あの子が‥‥」と言い訳し始めた。私は悲しくなって「あなたがしたことは間違っているよ」と諭そうとしたら、彼女はムッとした顔をした。
盗みやすいように、子どもたちが欲しがるものを放置した私が悪いのだろうか。ふとそんな気持ちが私の脳裏をよぎった。
子どもへの教育を考える時、私は、ただ話を聞かせるよりも、「体験すること」「手で触れられること」の方が効果が高いと信じている。リサイクル工作を例にとっても、目で見て、手に触って、驚き、感心し、「作ってみたい!」と好奇心が動かされる子どもたちの姿を目の当たりにしてきた。
■モノに触れさせない教育でいいのか
ジャマイカでは、手に触れられるものは「盗まれやすい」と考えるそうだ。事実、ジャマイカの多くの店では、万引きを防ぐため、入店する際に手荷物をカウンターで預けることが必須になっている。小さな店では、カウンターやガラスケース越しにしか商品を見ることができない。
私が暮らすジャマイカ東部のポートアントニオで小さな雑貨屋を経営する友人は数カ月前、パソコンを盗まれた。トイレに行くために店を空けたわずか数分の間にだ。一義的には盗む人間が悪い。ただ、盗まれる隙を与えた方にも落ち度がないとは言い切れない。
日本の社会規範に照らし合わせれば、盗む方がやっぱり悪い。だがここジャマイカでは、私の実感として「盗まれる方が悪い」と考えた方がしっくりくる。隙を見せたら盗まれる。だからみんな予防策をする。
そう考えるとすれば、悲しいけれど、子どもたちが私のモノを盗むのは当たり前。なんせ盗む隙を与えたのは私自身だ。でもだからといって、盗まれないために、子どもたちに何も触らせず、椅子に座らせ、退屈な映画やプレゼンテーションを見せていいのだろうか。Trash to Cashのプログラムを通して、子どもたちにとって良い教育とは何かを私は問い続けている。(ジャマイカ=原彩子)