【協力隊deコロンビア(16)】児童養護施設を訪問、子どもとのコミュニケーションは「ボディタッチ」

児童養護施設の子どもたち

私は、日本では児童養護施設の指導員として働いていた。青年海外協力隊員としてコロンビアでは保育園で活動しているが、いつかはこの国の児童養護施設を訪問したいと願っていた。そのチャンスがついにやってきたのは1月のこと。コロンビアの施設では、想像以上に過酷な境遇に置かれた子どもたちが生活していたが、スタッフと子どもたちが「ボディタッチ」を使ってコミュニケーションをとっていたのがとても印象に残った。

■お金をもらって罪を被った子どもたち

私が訪れたのは、コロンビア中西部の都市ぺレイラの児童養護施設だ。この施設の理事長は、インド独立の父マハトマ・ガンジーの思想を大切にする人だった。

「規律」を徹底して教えているため、施設の子どもたちは、コロンビアの一般的な子どもたちとはまるで違っていた。集会場にきちんと座り、だれかが入ってくると全員起立。「座ってください」と言われると、「ありがとう」と着席する。

施設には、7~18歳の男子が40人暮らしている。育児放棄や虐待、性的虐待、極度の貧困、ストリートチルドレン、児童労働、非行など、彼らがここにたどり着いた理由はさまざまだ。

郊外にはもうひとつ「児童自立支援施設」(更生施設)があった。もっと深刻な問題を抱える子どもたちが生活していた。殺人や強盗を犯したり、ドラッグ中毒の子どもたちだ。

私が驚いたのは、大人からお金をもらって、無実の罪を被った子どもたちがいたことだ。これはどういうことかというと、コロンビアの少年法は、14歳未満の少年・少女に対して殺人罪を問えない。この仕組みを悪用する形で、殺人を犯した大人が子どもにお金を払い、その代わりに子どもにうその自供をさせ、罪を被ってもらう。お金のために“加害者”となった子どもは、更生施設で4カ月過ごせば、その後、家に戻れるという。

過酷な人生を送る子どもたち。施設のこうした子どもたちは学校に通っていなかった。学力が十分でないためで、コロンビア政府が派遣する教師が、施設内で午前中に授業をする。ただ、きちんとした教室もなく、机やいすも足りない。教科書すらなかった。

■誕生日さえ祝ってもらえない

私は8日間、ここに滞在した。午前中は施設について学び、午後は子どもたちと一緒にアクティビティをした。10歳以下の子どもたちとはお絵かきや折り紙などの工作を通して交流。それ以上の子どもたちには日本の文化を紹介した。

滞在中にちょうど私の誕生日がきたこともあって、誕生日会をみんなでやろうと企画した。聞くと、施設の子どもたちには、誕生日を祝ったり、祝ってもらう機会がないという。

そこで私は、会場を風船で飾り付け、ケーキや菓子を用意。子どもたちの出し物や二人三脚などのゲームをして、みんなで楽しんだ。最後にバースデーソングを歌ってケーキを食べる。ひとときの出来事かもしれないが、そういう一瞬一瞬を一緒に祝える幸せを感じてほしい、と私は思った。

子どもたちの本音を目の当たりにする場面もあった。

施設には、半月ごとに家族が訪問できる日がある。私の滞在中に、7歳と9歳の男児の家族がやってきて、一緒に時間を過ごしていた。母親からおもちゃをもらい、嬉しそうに遊んでいた2人。家族が去った後しばらくして、9歳の兄は事務所の周りをウロウロしていた。

私は、スタッフの誰かと話がしたいのだろうと思った。関係性をまだ築いていない私は、話し相手になるのは難しいな、どうしようと考えていたら、この男児は突如、「ママ~」と泣き出してしまった。

その翌日、彼とちょっと話をした。「施設の生活はどう?」と尋ねると、「家に帰りたい」。このきょうだいの入所理由を私は聞けなかったけれど、小さな体で大きなものを背負っているのだろう、と悲しくなった。

■コロンビアの良さを日本に還元したい

コロンビアの施設の子どもたちと接して感じたことは、あいさつの時に頬と頬をすりあわせたり、日常の中で自然に抱擁したり、「大好き」と言葉で伝えあったり、とボディタッチのコミュニケーションが多いことだ。肌が触れあうことで、お互いの距離が近づき、親近感もわく。ボディタッチのコミュニケーションは言葉以上にとても重要だな、と改めて気づかされた。これは日本ではあまりやらない方法だ。

一方、日本の児童養護施設では、家庭的な空間を作るために、子どもたちと一緒に生活をともにする。ご飯を一緒に食べ、団らんの時間を一緒に過ごし、子ども一人ひとりとかかわる時間をもつ。これは、コロンビアにはない長所だと思う。

日本への帰国日まであと半年。コロンビアの施設を今回見て、私は、日本に帰ったら、生涯の仕事として児童養護にかかわっていきたいとの思いを強くした。(コロンビア=藤早苗)