【インドを旅する②】指がちょん切れた!

ヒンズー教の聖地バラナシで私はしばしの休息を決め込んだ。といっても特にすることもない訳だから、読書と昼寝以外はたいてい、同宿の日本人と一緒に「賭けビリヤード」をして時間をつぶす。

ビリヤード場は、目抜き通りに建つ食べ物屋の奥にあり、窓ひとつない密閉された空間だった。エアコンはなく、その代わりに、いくつかの巨大な扇風機がビリヤード台を囲むように置かれていた。ブウーンブウーンと低い回転音が鳴り響く中、キューを右手で握り締め、左手を固定し、ひとつひとつ球を落としていく。

汗で体にぴたっと張りつくTシャツをまくり上げ、額をぬぐう。あまりの蒸し暑さで体中の細胞がすべて溶けてしまいそうだ。頭がぼーっとすることさえあったが、怠惰な日々から抜け出したかった私は、その反動からか、ストイックなほどにビリヤードにのめり込んでいた。

プレー中も例によって店員はニヤニヤしながら、やれたばこをくれ、やれカネを恵んでくれ、と10分おきにたかってくる。弱者が強者に当然のように“バクシーシ(喜捨)”を求める行為は、この国では日常茶飯事だった。

「オレが勝ったら何かおごるから応援してくれ」

「チップをやるから、ジュースを1杯タダでくれ」

「あとでな、あとで」

「ああ」

「‥‥」

バクシーシという名の物ごい攻勢に対して、最初は冗談を飛ばしてかわしていた。だが次第に彼らの存在が無性にうっとうしくなり、無視するか、手の甲でシッと追い払うか――私の態度は日を追うごとに恐ろしいぐらい横柄になっていった。

ガンジス川のほとりに旅装を解いて10日余り、昼過ぎのことだった。私はいつものように賭けビリヤードに熱中していた。

ゲームも終盤戦を迎えたその時、「ボンッ」と衝突事故のような鈍い音が室内にこだました。私のメガネに、Tシャツに、血が散った。緑のじゅうたんの上に赤い斑点がぽたぽたと落ちた。その直後、声が発せられないほどの激しい痛みが体内を稲妻のように駆け巡った。顔がゆがむ。

痛みの源泉を視線がたどると、私の左手中指の先端が、猛スピードで回る扇風機の鉄製の羽根にバッサリ切られていた。

深さ数ミリメートルという軽傷ではない。第一関節から先は、皮とわずかの肉で辛うじてつながっているという状態で、指先はいまにももげそうにぶらぶらしていた。私は必死に、中指を右手で押さえた。

ショックで目の前が真っ白になった。先端の骨と第一関節は瞬時に吹っ飛ばされ(後からわかった)、傷口からは、包丁でスパッと切ったソーセージのように鮮やかな赤がのぞいている。思考の白さとは対照的な赤。ロースの焼き肉を食べたいな、というくだらない欲求が不思議に頭をもたげた。カレーがぎっしり詰まった胃は冷静だった。

巨大扇風機が送り出す風は強烈で、ゆるくついた球を微妙に曲げる。勝ちたい一心から風の向きを変えようと、私は扇風機のカバーに手をかけたのだった。

しかしゲームに没頭し過ぎて注意力が散漫だったのだろう。カバーの隙間から1本の指がスルリと中に入ってしまったのだ。横柄な態度を取り続けたからバチが当たったんだ、と悔いた。

ところが店員の対応が素早かった。茫然自失の私の右腕をつかみ近くの病院に連れて行くと、大きなアイロン台のようなベッドに寝かされ、麻酔を直接患部に打ち、事故のわずか5分後に仮縫合。雑巾を縫うような雑な縫い目だったが、とにかく結合した。

さらに薬局までひとっ走りしてくれ、感染症を防ぐ抗生物質を購入し、その上、1週間分の賃金にもなる治療費と薬代まで当然のように払おうとしたのだ。

私はその親切に驚かされ、いままでの数々の無礼を詫びたい気持ちでいっぱいになった。これ以上、店員にお世話になるのは忍びない。偉そうな態度を取ってきた手前、後ろめたかった。

「自分で払う。オレのポケットからカネを取り出してくれ。それから、オレの友だちの誰かを呼んできてくれ」

私は懇願した。

彼が走り去った後、ビリヤード友だちのカーン君(仮名)らが駆けつけてくれた。われわれはいったん医療施設についての詳細を調べにゲストハウスへ戻った。

包帯を指に巻いていると、リキシャの運転手も料金を吹っ掛けてこないし、いつもは商魂たくましさで目が血走っているストリートベンダーすらもスーッと道を空けてくれる。損得勘定そっちのけで。しかも率先して。

「いま襲われたら抵抗もできないし、無一文になるな」と危惧していた私は、完全に肩透かしを食った。(続く