バラナシはしょせん田舎町だ。仮縫いしてくれた病院も、映画で見る野戦病院さながらの不衛生さで、医療設備は貧しい。優秀な医師もおらず、高水準の医療サービスを期待できるはずもない。
「これ以上の治療はできない。ばい菌が患部から侵入すれば大変だ。指は切るしかないだろう。手遅れになれば、切断部分が第一関節から第二関節へ、さらに指全体、最悪の場合は左手全部にまで広がる可能性もある」
医師は硬い表情で宣告した。
次第に増す強烈な痛みで全身を硬直させながら説明を聞いていた私は、悩んだ。でもやっぱり指は絶対に失いたくない。
出版業界でずっと働くつもりだったし、キーボードが叩けないのは困る。ここは先進国ではないが、完治は不可能なのだろうか。仮に元通りに治すのが難しいのであれば、せめて、切らずに、なんとかつながらないものか。指がないとヤクザと間違えられるかも知れない。ヤクザの入国取り締まりを強化しているフィリピンにはもう入国できないかも‥‥。
妄想が妄想を呼ぶ。ガンジス川に沈む夕日が、バラナシの町と私の心を焦燥感で染め上げていった。
カーン君らが、病院探しを手伝うと申し出てくれた。総勢4~5人でリキシャに乗って、まずはガイドブックに載っていた大学病院に向かう。着いた先のその建物は、日本の荒れた中学校の体育館のようで、内部は薄暗く、窓ガラスも割れ放題だった。どこが受付で、どこに医者がいるのかも定かでない。
乞食なのか、患者なのか、面会者なのか、判別不能の人間が多数、廊下の隅でひっそりと生活していた。息をしているのかもあやしい老人、病院内で火をたき夕飯の支度をする母親、廊下を走り回る子どもたち。彼らはきっと家族なのだろう。院内には、消毒液ではなく、カレーのにおいが充満していた。
カーン君が、申し訳なさそうな目で私を見ると、患者の連れ添いらしき人に「医者はどこだ?」と訊ねてくれた。
「2階だ」
「いや、4階へ行け」
「右へ行け」
答えはこんなときもばらばらだ。指がポロッと取れそうなのを必死にこらえて私はその都度、仲間たちと一緒に板張りの上を縦横無尽に走った。
1時間は駆け回っただろう。他人の病室をのぞき、人だかりをかき分け、ようやく受付の先生らしき人を発見した。何とかレントゲン撮影まではこぎ着けたものの、多勢に無勢。悪名高い鉄道駅のインド人窓口に群がる人よりも多い数の患者を押しのけて、この先、診察してもらう自信はなかった。現像液がべっとりついた撮り立てのレントゲン写真を右手に持ったまま、私は呆然とその場に立ち尽くしていた。
その後も病院探しは続いた。いくつ当たっただろう。どこも設備はどんぐりの背比べで、診察さえろくすっぽしない。この日最後に訪れた病院で、私は血みどろになった包帯を交換してもらうことにした。
包帯が血で凝結し、一枚一枚剥がすたびに、爪の内側のひんやりとした痛みが神経を逆流してくる。歯の隙間から息を吸い込んで力の限り耐える。
中指は台湾バナナのようにぱんぱんに腫れ上がり、ゆがんでいた。爪を割ってその間から肉が飛び出し、図鑑で見た動物の脳みそのようにグロテスクだった。直視するのが辛く、激痛と絶望感に私は言葉を失っていた。
時計の針はもう夜の11時を指していた。
われわれは今後の対策を話し合った。これまでにかかったバラナシの町医者は全員「中指第一関節より上は切断するしかない」の一点張り。諦めが早すぎる。切るにしても最善の努力を払ってから決断したいと私は願っていた。
「デリーにいますぐ車で発つのがいい」
「いや、バラナシにもまだ病院はある。あす連れて行く。いざとなったらオレの指をやるから心配するな」
「この男も指はないけど、不自由してないぞ」
いつの間にか周りに集まってきたインド人たちから激励の声が飛んだ。
指が欠けたインド人は案外多く、見知らぬ数人が、顔面蒼白の私のところに立ち寄っては勇気づけてくれた。
「扇風機は危ない。気をつけろ」
「うん」
「お前は左手中指でまだラッキーだった」
「そうかあ」
「見ろ。オレは右の親指がないんだ」
私はこの時、正直、指のことはもうどうでもよくなっていた。長い一日に疲れていたせいもある。しかし、けがを忘れさせる優しさ、もっといえば「バクシーシ」の意義を行動で示してくれたインド人。その日の生活を心配しなければならない人たちが、あかの、それも金持ち日本から遊びにきた他人の指一本を心配するのだ。
振り返れば、私は学生時代から日本と東南アジアを往復し、大学卒業後は現地で働かせてもらった。生活でも、仕事でも、いつも助けてくれた東南アジアの人たち。私はアジアで育ててもらったのだ。
翌朝、ゲストハウスの窓辺からガンジス川に朝日が昇るのを初めて見た。痛みで一睡もできなかったからだ。沐浴するインド人が、ただの物ごいではなく、慈悲深い人間に見えた。
貧しいけど心は豊か、とは信じない。それは器の問題だから。ただ、俗世でカネにものをいわせて空虚な旅を続ける自分が器の小さな人間に思えた。
私は結局、飛行機でデリーへ飛んだ。(終わり)