【協力隊deコロンビア(17)】「やってあげる」のではなく「やり方を教える」、国際協力の本質に気付く

食育のクラスで、保護者と一緒にキュウリのタネを植える子どもたち

「それはあなたの仕事なの?」。これは、カウンターパート(ボランティアの受け入れを担当する人)が幾度となく私に対して発した言葉だ。

コロンビア・カルタヘナの保育園でソーシャルワーカーとして活動し始めて1年9カ月。スペイン語も意思疎通できるようになったし、保育士たちとの信頼関係も築けていると思う。また園児たちとも楽しく会話できるようになった。

一見すると、私の活動は順調だ。だがカウンターパートの目にはそうは映らないらしい。

私の配属先である保育園では、保育士は月末、活動の写真を添付した月報を提出する決まりになっている。ところが保育士のほとんどはパソコンもカメラももっていない。パソコンの使い方も知らない。だから私は月末になると保育士に頼まれ、月報の作成を手伝ってきた。

そんななかカウンターパートはある日、私を呼び出し、言った。「手伝うことは簡単だ。けれども保育士はやろうとしないし、学ぼうとしない。あなたは一生手伝うことはできない。やるのではなく、やり方を教えなさい」

この指摘はもっともだと思った。確かに私は青年海外協力隊員として技術を移転するためにやってきた。ただその一方で、私の気持ちのどこかで「自分にできることを見つけて、手伝おう」という考えもあった。共助の精神は、私が日本で学んだ大事なことだからだ。

別のエピソードもある。私は、保育園で野菜畑を作っているが、ある日、日差しを遮るヤシの木の葉っぱを切り落とすために専門の人を呼んだ。作業が終わって私は、畑の周りに落ちた切れ端をそうじしていた。

だが休憩している時、カウンターパートは私に質問した。「それはあなたがやらないといけないことなのかなぁ」。ソーシャルワーカーとして派遣されている私が、そうじのための汗水流して働く必要があるのか、と言うのだ。

他人のために自分でやることは簡単だ。だが技術移転の観点からみれば、「やり方」を伝えなければ意味がない。いつの間にか私は、日本から来た協力隊員というより、保育園の一(いち)スタッフになっていたのかもしれない。

日本へ帰国するまで残すところ数カ月。2年に及ぶコロンビアでの活動の締めくくりに、私は、保育士に伝わるような何かを残したいと改めて強く思った。(藤早苗)