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青年海外協力隊員(環境教育)として活動していると、仕事やプライベートでさまざまな人と出会う。一通りフィジー人と顔なじみになり、連絡を取り合う仲になると聞かれることがある。「あなたの宗教は何?」。ここは日本ではない、と思う瞬間だ。今回はフィジーの宗教事情を考察してみたい。
■私との約束はスルー、でも宗教の規律は守る
どの宗教を信じているのか、と聞かれたら、私は大抵こう返す。「特定の信仰はないけれど、あなたたちの宗教には敬意を払う」と。彼らはきょとんとして、くちびるをへの字に曲げる。決まった信仰をもたない私は、ここではかなり少数派だ。
四国ほどの大きさしかないフィジーだが、実は宗教のバラエティーは豊富。「フィジー人」が、生粋のフィジー人(フィジアン)とインド系住民に大きく分かれるのがその理由だ。
フィジアンの大半はキリスト教(プロテスタント)を信仰する。その他の宗教を信じる人はごくまれ。この国の半数以上がクリスチャンだとされる。
インド系住民は、イギリスの植民地時代に連れてこられた労働者の子孫たちで、7割はヒンズー教徒。残りの3割はイスラム教やシーク教の信者だ。少数にもかかわらず、フィジー社会の中で影響力をもっているのがおもしろい。
どの宗教の信者にしろ、規律は驚くほどきちんと守る。私の職場はインド系が多いため、しばしば肉食禁止になる。彼らは週に1回「菜食日」を設けるヒンズー教の信者だ。フィジアンにしても、食前のお祈りや教会通いは欠かさない。
その半面、フィジー人(土着系、インド系など)は、私との約束はあまり覚えてくれないし、時間の感覚もゆるい。普段はのんびりとしていて、正直、ぼんやりしているところもある。普段の生活態度と信仰へのスタンスは真逆なぐらい対照的だ。
■教会に行ってみた、歌・踊り・聖書朗読
フィジー人はなぜ、宗教の教えにここまで忠実に生きるのだろう。そう疑問に思っていた時、近所のフィジアンから「教会(メソジスト派)に来ないか」と誘われた。宗教にマイナスイメージをもつ典型的な日本人である私は一瞬、変な勧誘はされないかなと悩んだが、ここはフィジー。二言目には「イーヨ」(フィジー語で「もちろん」の意)と言い、教会に行ってみることにした。
次の日曜日、「ほらここが俺たちの教会だ」と連れてこられたのは、民家の裏のオープンスペース。そこで、大人・子ども合わせて15人ほどが寝転び、聖書を読み、ギターを弾いている。厳粛な雰囲気を予想していただけに、少し拍子抜けだ。
ところが牧師がやってくると、空気は一変した。神妙に祈りを全員で捧げ、始まったのは聖書の朗読会。フレーズをひとりずつ読ませ、それを牧師が解説していくさまは、小学校の音読の授業のよう。フィジー語で読みあげるので、私には何を言っているのやらほとんどわからない。
彼らの真剣な様子に感心していたら、急に立ち上がって、歌いながら踊り始めた。「ハレルヤ」「ゴッドイズラブ」と連呼するのはやっぱりフィジアンだ。伴奏の鍵盤ハーモニカとギターもばっちり決まっている。ここがハイライトかと思いきや違った。2~3曲歌った後にはまた座り、朗読会を再開。これが3時間繰り返された。
私の頭にあることがふとよぎった。フィジアンは祈りにエネルギーを使いすぎているから、普段どこかぼんやりしているのではないだろうか。もしそうだとしたら時間にゆるいのも、忘れっぽいのも、少しは納得がいく。「ゴッドは特別なんだ。わかるか」。熱心に私を説く彼らを見ていると、ますますそんな気がしてくる。
キリスト教、ヒンズー教、イスラム教‥‥。小さな島国の中にこれだけ信仰の違う人たちがいても、不思議とそこに対立や争いはないように私には見える。フィジアン、インド系など住民はそれぞれのペースを守って、暮らしている。
ひょっとしたら、物事にあまりこだわらないフィジー人の性格は、多人種国家で生きるための知恵なのかもしれない。宗教は本来、争いを好まないはず。お気楽でのんびりとした印象が強いフィジーにも、良い意味で「宗教国家」としての顔が確かにあった。