フィリピン・ボホール島の地震から10日余り、気になる「援助格差」と「モラルの欠如」

支援物資を載せたトラックが走り去っていく

10月15日に起きたフィリピン・ボホール島南西部を震源地とする地震(マグニチュード7.1)から10日余りが経った。私はこの間、被災地に2度、足を運んだ。いまもなお食料や水などの援助物資の配布が続いているが、支援現場で目にしたのは「援助格差」と「モラルの欠如」だった。

■山間部に立つ「WE NEED FOOD」の看板

最初に被災地入りしたのは、地震から3日後の18日。ボホール島最大の街タグビラランに入港し、被害が甚大なマリボホグなどボホール島東部を取材した。

被害が大きい地域ではすでに、レスキュー隊や国軍、緊急医療チーム、NGOなどが総出で支援していた。急性期はすでに脱しているように映る。だが一方で、山間部の住民らは、水も食料もわずかな量しか配布しかされていない。「WE NEED FOOD(私たちは食料を求めています)」と書かれた看板が道路脇にいくつも立っている。

2回目に被災地に行ったのは20日。ボホール島第2の港トゥビゴンから入り、小さな集落を回った。注目を浴びていない被災地を取材することが目的だ。

トゥビゴン中心部では、レストランも土産物屋も、ほぼ通常どおりオープンしていた。物資の明らかな不足はないようで、人々の表情にも笑顔がある。復興は進んでいるようだ。また、大きな教会や学校があるイナバンガ町でもパン屋や食堂は営業し、野菜を売る小さい市場も立っている。隣のセブ島からはNGOが支援に来ていて、トラックで運んだ援助物資を配っていた。

だが、小さな集落までは援助が行き届いていない。「WE NEED FOOD」の看板も少なくなく、人々の表情も硬い。私がバイクで近づくと、食料がもらえると思うのだろう、子どもから大人までが私に群がってきた。

話を聞くと、政府からの援助は2~3日に1回の頻度で、1回につき支給されるのは1世帯当たりコメ2キログラム、缶詰め2~3個とインスタントヌードルとのこと。水も配られるが、そのときの残量で量は変わるという。

■援助物資のトラックが去っていく‥‥

被災地で印象に残る光景を見た。ボホール島東部のクラリンという比較的大きな町でのことだ。

援助物資を載せた大型トラックが猛スピードで走ってきて、教会の前で急停止した。住民らは、それが援助物資を配布するために来たことを知っているため、われ先へとトラックめがけて走っていく。

そのときだ。トラックの荷台から十代とみられる女性が、コメやビスケットの入ったビニール袋を被災者に向けて投げ始めた。いくつかのビニール袋はコンクリートの道路に落下した際の衝撃で破け、物資は路上に散らばっていた。

援助の受け手には若い男性が多い。それがおもしろかったのだろうか、援助物資を投げる女性は楽しげだった。また荷台にいた別の援助関係者は、トラックに群がる被災者にカメラを向けながら笑っていた。

そのトラックが突然、急発進した。私のそばにいた乳飲み子を抱えた母親が援助物資をもらおうと走り出した瞬間だった。無情にも走り去っていったトラックを見て、悲壮感に打ちのめされる母親‥‥。体力のある者、偶然近くにいた者だけが援助物資を手にできるのだ、と私は思った。トラックの滞在時間は3分もなかった。

地震の発生から10日以上、援助物資は確かに、ボホール島に続々と集まっている。だが、本当に必要な人に物資が行き届いていない現実を忘れてはならない。ありきたりの主張かもしれないが、私はやはり、食料や水などを本当に必要としている地域をしっかりと選定して、必要な物資を迅速に配布してもらいたい、と切に願う。(フィリピン・ボホール=後藤陽)