イラク戦争開戦後の2004年、イラク西部の都市ファルージャ(アンバール州)で武装勢力に人質として拘束された高遠菜穂子さん(45)が2014年11月4日、神戸市外国語大学で、最近台頭が報じられる「イスラム国」やイラクでの支援などをテーマに講演した。高遠さんはイラクで11年間支援活動を続けてきた経験から「国際社会の『イスラム国』への対応は間違っている。空爆などの武力行使には効果がない」と訴えた。
高遠さんによると、現状の正しい理解のためには、「イスラム国」が出現した背景を知ることが重要だと指摘する。
■米国の占領政策が「スンニ派過激派」の台頭招く
現在、「イスラム国」が活動を活発化させるアンバール州のファルージャやラマディは、中央政府を支配するイスラム教シーア派ではなく、スンニ派が多数を占める。「イスラム国」は、スンニ派住民の政府に対する強い不満に乗じて勢力を拡大しているとされる。高遠さんは「こうした不満をそもそも生み出したのがイラク戦争だった」と言う。
高遠さんが活動する「イラク戦争の検証を求めるネットワーク」の製作したブックレット「イラク戦争を検証するための20の論点」は、イラク戦争がスンニ派過激派の台頭を招いた背景を以下のように解説する。
イラク戦争前のサダム・フセイン政権時、イラクは世俗主義国家だった。宗教の選択は自由で、異宗派間の結婚も認められていた。このように世俗主義をとるイラクには、アルカイダなどの過激なイスラム教原理主義組織は、入ることさえできなかった。それがイラク戦争後に激変する。
米国は占領開始後、スンニ派を「フセイン支持層」として新政権から排除するとともに、フセイン政権と敵対してイランに亡命していた過激なシーア派グループ「イラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)」(現イラク・イスラム最高評議会)を政権に招き入れた。さらにその配下の民兵組織「バドル団」をイラク軍や警察に編入。米軍は、これらのシーア派主体のイラク軍とともに、スンニ派住民の多い地域(ラマディやファルージャなど)をコントロールした。
スンニ派の政党はこうした動きに抗議し、2005年1月の国民議会選挙をボイコットした。その結果4月に発足した暫定政権ではシーア派政党が最大派閥になった。しかもこの政権は、スンニ派の国会議員を逮捕・暗殺するなどあからさまな「シーア派至上主義」をとったため、スンニ派の不満が高まり、過激派が増加した。
■「イスラム国」の原型、「イラク聖戦アルカイダ」が誕生
高遠さんによると、これらの地域では、スンニ派住民のレジスタンス(抵抗運動)が活発化していく。その中で、当時イラクの国境警備がずさんになっていたこともあり、シリアやアフガニスタン、ヨルダンなどの近隣諸国からイスラム教原理主義組織がファルージャへと入ってきたという。レジスタンスは「加勢してくれるなら」とアルカイダを受け入れたため、レジスタンスの一部とアルカイダの勢力が合わさって「イラク聖戦アルカイダ」が誕生。これが現在イラクで台頭している「イスラム国」と呼ばれる勢力だ。
その後、イラク聖戦アルカイダの活動が過激化し、一般市民の被害者が続出。このため、イラク聖戦アルカイダは部族の自警団によってアンバール州から掃討されるが、次には北部ニナワ州のモスルへ逃げ、その後、シリア紛争に介入していった。高遠さんは、スンニ派過激派の台頭、そして「イスラム国」の誕生の背景には、イラク戦争後の米国の占領政策があったとする。
■スンニ派狩りはエスカレート
また「20の論点」によると、暫定政権でSCIRI幹部のバヤーン・ジャブル氏が、警察や治安部隊などを管轄する内務省の大臣に就任してから、警察や治安部隊による拘束や拷問、殺害など、いわゆる「スンニ派狩り」が始まったという。
高遠さんによると、スンニ派狩りの状況はきわめて残虐だ。始まりは2005年の5月、首都バグダッドでスンニ派の宗教指導者が治安当局に連行され、3日後に路上で遺体が発見された事件だ。遺体には鉄製の手錠がかけられ、背中に電気ドリルで穴を開けられ、腹は裂かれていたという。それ以降、このように残虐に殺害されたスンニ派住民の遺体が、バグダッドの路上にはほぼ毎日のように横たわっていたという。「最も多い時には1日で100体もの遺体が発見された。過去10年間に殺されたスンニ派住民の数は推定3万人以上と言われる。また、殺害された住民のほかにも、不当な理由で逮捕され、投獄されている人もいる」(高遠さん)
■スンニ派市民のデモ弾圧、全面戦争へ
「こうした政府の残虐行為に対し、スンニ派市民はデモ活動を続けてきた」と高遠さんは続ける。ところが治安部隊は「デモ参加者のテント村がアルカイダの拠点と化している」として、キャンプの強制排除に乗り出したのだという。「これまでもイラク政府から市民への無差別攻撃は頻発していたため、地元部族による自警団はあったが、この強制措置きっかけに自警団は『部族軍』として拡大した。そして、部族軍と政府との全面戦争へと発展した」(高遠さん)
こうした動きに乗じたのが、イラクでの勢力拡大に苦戦していた「イスラム国」だった。部族軍が政府の攻撃を防いでいる間に、ファルージャやラマディに勢力を拡大した。これが2014年1月のことだ。
■空爆ではなく、イラク政府と米国に圧力を!
米軍は8月から、台頭する「イスラム国」を封じ込めるため、イラク北部で空爆を開始した。米軍による空爆は、2011年末に駐留米軍が撤退して以来初めて。これまでに米軍は数百回におよぶ無人機空爆をおこなったが、民間人の犠牲も出ていると高遠さんは推測する。
「国際社会は、対テロ=武力行使という前提で進んでしまっている。その武力行使こそが、『イスラム国』台頭の背景にあるというのに」と高遠さんは憤る。「対テロ攻撃がテロの撲滅ではなく拡散を助長してしまうのは、イラク戦争を見ても明らかだ」
メディアにも責任があるという。「『イスラム国』の蛮行は報道しても、その背景にある政府軍の残虐行為やスンニ派住民のデモは報じてこなかった」と高遠さんは言う。「このように報道が偏っていることが、イラク情勢への正しい理解を妨げ、国際社会を武力行使へと導いてしまった」
「国際社会がかけるべき圧力は、『イスラム国に空爆』ではない。イラクの独裁残虐政権に対して、『市民の声に耳を傾けろ』と圧力をかけること、そしてその政権への米国の軍事支援を止めることだ」と高遠さんは訴えた。