ベトナム・ハノイを代表する観光スポット「ホアンキエム湖」の周りにたむろする物売りたち。この中から一念発起して、土産物屋をオープンさせたベトナム人女性がいる。グエン・ティ・カインさん。27歳。商売をしながら英語を学び、コツコツと貯金をし、ハノイに上京して14年、ベトナムドリームを手にした。
■往復40キロを自転車で往復
カインさんの出身地は、ハノイの中心部から南におよそ20キロメートルのところにあるバンディエン村。13歳のとき、母、妹と一緒に、ホアンキエム湖のほとりで、絵はがきやカットしたパイナップルを売り始めた。当時は村から往復40キロメートルの道のりを毎日、自転車で行き来したという。
「物売りの生活は苦しかった。1日2万ドン(現在のレートで約110円)ぐらいの収入しかなく、食事はパンだけでしのいだ。それに『田舎の娘だ』と周りからばかにされ、本当に悔しかった」
カインさんの学歴は小卒(ベトナムの小学校は5年間)。子どものころから働き始めたのには訳がある。「父は農民だけど怠け者」(カインさん)。だから長女として家計を支えることになった。カインさんには父、片目が見えない母、それに3人の妹がいる。
「まだ幼いのに1日中働き、お金の心配をするのは大変。ふつうは学校に行くのに、私にとって学校はすごく遠い存在だった‥‥」
ベトナムといえば、「NEXT11」にも名を連ねる経済成長が著しい国。世界銀行によると、2014年の国内総生産(GDP)成長率は5.6%で、今後も右上がりが続く見通しだ。しかしその一方で、人口に占める貧困層の割合は17.2%(2012年)と少なくなく、カインさんのように児童労働がはびこる現実がいまもある。
■英語学校に自費で通う!
物売りだったカインさんには、その他大勢の物売りと決定的に違った点がある。それは「向上心」が強かったことだ。物売りをしながら、ホアンキエム湖の近くにある英語学校に通った。15~16歳のときだ。「英語が話せれば観光客相手に商売ができ、より儲かる。外国人と会話するのも楽しい」というのが理由だ。
英語の授業は午前中のみ。学費は年間40ドル(約4800円)と格安だった。英語を身に付けたことで、カインさんは、物売りより収入が高い土産物屋への転職に成功する。月収は200ドル(約2万4000円)にアップした。
21歳のとき、携帯電話ショップを経営する同郷のベトナム人男性と結婚。一児をもうけたが、23歳のときに離婚した。そのころから観光ガイドの仕事も始める。土産物屋、観光ガイド、湖畔の物売りの3つの仕事を掛け持ちし、1カ月600ドル(約7万2000円)稼いだ。
一番儲かったのは観光ガイドだ。1日で50~100ドル(6000~1万2000円)のお金を手にできた。ただ「(顧客の外国人から)セックスに誘われることも多く、嫌だった。早く足を洗いたかった」と言う。
がむしゃらに働いて得たお金は大切に貯金に回した。「物売りのほとんどはお金がちょっとたまると、カードのギャンブルをしたり、たばこを吸ったりして、すぐ浪費する。将来を考えない人が多い。私は違う」
■笑顔を忘れず月商48万円
ハノイに上京して14年経った2014年9月、カインさんが27歳のとき、念願だった自分の土産物屋をホアンキエム湖の北側すぐ近くにオープンした。店名は「ベトナム・メモリーII」。開店費用の2万5000ドル(約300万円)のうち1万5000ドル(約180万円)は貯金から捻出した。それ以外は家族や友人に借りたという。
店は廊下のように細長く、面積も20平方メートル程度と狭い。そこにベトナムコーヒー、かばん、Tシャツ、バチャンの焼き物など、100アイテム以上が突き出るように並ぶ。商品のラインアップも、売れ行きをみて入れ替える。「○○ある?」と外国人から尋ねられると、そこに需要があるかも、と考えるという。利益が小さくてもたくさん売れるものは置く。
顧客は、日本人、アメリカ人、フランス人、韓国人などが中心。相手を見てカインさんは、流ちょうな英語、ほんの少しの日本語、片言のフランス語などを駆使して接客する。
「笑顔は忘れないようにいつも意識している。お客さんが心地良くなってくれるのが大事だから。何も買ってくれないからといって失礼な態度をとると、変なうわさを流されるかもしれないし」
店の売り上げは1カ月4000ドル(48万円)ぐらい。店の賃料700ドル(約8万4000円)や仕入れ代を差し引くと、収入は1000ドル(約12万円)前後という。家族を支えるには十分といえるほどの金額でないかもしれないが、「物売りよりずっと良い。ビジネス(店の経営)を考えると時々、頭が痛くなるけど」と笑う。
■夢はスパとネイルアートの店
27歳にして、すでに14年も働きっぱなしの人生。店の営業時間は午前10時~午後11時と長いため、食事は母に持ってきてもらう。でも立ち止まらない。いまはフランス語を週に2日午前中に習う。学費は2カ月半で300万ドン(約1万6000円)だ。
カインさんにはいま、2つの夢があるという。1つは、妹たちを学校に通わせ、良い暮らしをしてもらうこと。3番目の妹はこの6月、高校を卒業する。「日本に留学したがっている。その費用は1万ドル(約120万円)ぐらいかかるけど、払ってあげるつもり」
もうひとつは事業の拡大だ。「店をもっと大きくしたい。土産物屋だけでなく、将来は、スパやネイルアートの店も開きたい」と目を輝かせる。「世界経済がこのところ芳しくないないから、ベトナムの観光産業も影響を受けている。しばらくは難しいかも」と冷静だ。
カインさんの成功物語はまだまだ途中。貧しい生活を受け入れ、ステップアップを諦めてしまった多くの物売りとは対照的に、「夢は始まったばかり。もっと一生懸命働かないと」と人生を切り開いていく力強さ。「私は学校に行っていない。だから雇ってもらえない。自分でビジネスをするしか道はない」。カインさんはこう言い切った。