2015年1月、フィリピン・マンダウエ市のイナヤワン地区にあるごみ山が閉鎖された。それに伴い職を失ったウェイストピッカー(ごみを売って収入を得る人たち)は500人以上。ウェイストピッカーの多くが別のごみ山に移ったが、この場所で生まれ育った人でいまだに住み続ける人も少なくない。
ごみ山の近くに暮らすディンド・アボディジャスさん(35)は、ウェイストピッカーからトライシクル(自転車のタクシー)ドライバーに転身した。ウェイストピッカーの時の収入は1日約300ペソ(約800円)だったが、今は約150ペソ(約400円)。「ごみ山がなくなって、収入が半減した。悲しい」
ディンドさんには2人の幼い子どもがいる。「もしごみ山が再びオープンされれば、すぐにでもウェイストピッカーに戻りたい。生まれた時からここに住んでいるから。別の場所に移ることは考えていない」とディンドさん。商売道具であるトライシクルの座席の背もたれの外側には、ごみ山で拾ったくまのぬいぐるみが8個飾られている。ディンドさんの生活にごみがいかに身近かがわかる。
ごみ山の閉鎖で、幸せになった人もいる。60歳以上のビベンシオ・ジー・スマボンさんはかつてより高い収入を得る。ビベンシオさんの仕事は、セブ市環境自然資源局での機械の組み立て(溶接)や修理。ウェイストピッカー時の収入が1日約200ペソ(約500円)だったのに対し、今は1日約340ペソ(約900円)を稼ぐ。
「ごみを拾っていた時は生活が厳しかった。今は問題なく暮らせている」と嬉しそうなビベンシオさん。ビベンシオさんはおじの造船の仕事を以前から手伝っていたため、今の仕事に興味を持ち、応募した。しかし彼のように定職に就けたウェイストピッカーはほんの一握りだという。
イナヤワンのごみ山にはかつて1日約400トンのごみが運ばれていた。フィリピンではごみの焼却が禁止されているため、最終処理場には大量のごみがたまり続ける。そのごみは多くの人の生活を支えていたが、処理場の許容量を超えたために政府が閉鎖を決定した。この決断は、良くも悪くも、ごみ山で生まれ育った人たちの人生を変えた。