10月24日は、イスラム暦(1437年)の1月であるムハッラムに入って10日目にあたる。この日は「アーシュラー」と呼ばれ、全世界のイスラム教徒の約15%を占めるシーア派にとって重要な日だ。
とりわけシーア派の間ではアーシュラーは、現在のイラク中部の都市であるカルバラ(シーア派の聖地)で3代目イマーム(指導者)のフサインがウマイヤ朝の軍隊に殺害された日として重視される。フサインを追悼するための「タアズィーヤ」と呼ばれる熱狂的な行事が盛大に繰り広げられる。一方、イスラム教徒の約85%を占めるスンニ派の間では、敬虔な信者が自発的に断食する日とされる。
タアズィーヤの内容は次のようなものだ。
ダステと呼ばれる隊列を組んで、フサインの苦しみを味わうために鎖で自らの背中を打ちながら街を練り歩いたり、フサインが殺害された時の様子を大声で泣き叫びながら再現する劇を上演したりする。女性は、ダステの行進の後ろをついて歩く。
シーア派はイランに多い。イラクやレバノン、パキスタン、アフガニスタンなどにも信者はいる。ユニークなのは、国・都市によってタアズィーヤの内容が異なることだ。
パキスタンでは、儀礼の一環として参列者は、刃物や鎖で激しく自分の体を叩く。このため、参加者の救護ブースが設置されたり、沿道で見学している人に血が飛んできたりするという。
イランでは、最高指導者ハメネイ師が「哀悼の意を示すのは手で胸を叩くのが本来のやり方。刃物で体を叩くべきではない」との見解を示している。だが実際は、フサインを悼む行為として刃物で体を叩いて流血させている人もいるそうだ。
アーシュラーといえばこうした熱狂的な儀礼に注目が集まりがち。ところがBBC(英国放送協会)が指摘するように、政治的なメッセージを発信する機会にもなっている。
アーシュラーをイラン政府は、イスラム共和国体制の維持や、国民へ政治的なメッセージの発信、シーア派の世界各地での団結などに利用している、との見方もある。
国営イラン・イスラム共和国放送は2014年10月30日付のインターネットの記事で「1979年のアーシュラーの日に起きた反王政デモが、同年のイラン革命成功に大きな影響を与えた。フサインの追悼儀式は、政治的な色合いを帯びてきている」と解説している。
アーシュラーはまた、スンニ派の過激派組織がシーア派を攻撃する格好の日ともなっている。2013年のアーシュラーでは、パキスタンでシーア派の参列者らが反シーア派グループと衝突。死者10人、多数の負傷者を出した。レバノンでは同年、アーシュラーの直後にイラン大使館が爆破された。
日本の外務省は「海外安全情報」でアーシュラーの日にテロや暴動が発生するリスクがあるとして、在留邦人や渡航者に注意を呼びかけている。