インドシナ難民の第2世代は多くが中卒、30年経っても貧困から抜け出せない

日本で暮らすインドシナ難民の実態について説明する乾美紀・兵庫県立大学准教授

「兵庫県で暮らすインドシナ難民の生活が困窮している。その理由は、貧困の悪循環に陥っているからだ」。これは、兵庫県立大学の乾美紀准教授が11月25日、神戸市で開かれた難民問題のセミナー(主催:アジア福祉教育財団難民事業本部)で語ったもの。兵庫県は、インドシナ難民の受け入れが日本で2番目に多い県だ 。

困窮した生活を強いられているインドシナ難民とは、「世代2」と呼ばれる人たち。日本にやってきた1979年ごろ、12歳以下だった世代で、大半はベトナム人だ。現在の年齢は30~40代。

貧困の泥沼にはまってしまった大きな要因に、当時の日本の教育体制がある。世代2は母国語しか話せなかったが、日本の小中学校に通った。だが学校には通訳や日本語授業などの特別な配慮はなく、授業についていけないまま義務教育を終えた。

その原因として乾氏は「当時の日本の学校には外国人を受け入れる基盤がなかった」と話す。文部科学省(当時は文部省)は「外国人と日本人を『同等』に扱うことを平等」としていた。そのため授業についていくことができず、高校受験を通過することも困難を極めた。

乾氏は2009年、兵庫県に暮らすラオス定住難民(全20家庭46人)を対象に進学率を調査した。この結果、教育を受けた年数の平均は10.32年(高校1年で中退)と、およそ半数が義務教育しか受けていないことがわかった。

学歴の低さから、世代2が就く仕事は、工場の作業員やレストランのパートスタッフなど、低賃金で不安定なものばかりだ。「月収は10万円ぐらい」(乾氏)。収入が低いゆえに、世代2の子どもたちも、教育を継続的に受けられなくなる。貧困の悪循環に陥っている。

乾氏が懸念するのは、インドシナ難民の生活は今も改善される傾向にないことだ。「定住難民への支援は少しずつ増えているが、解決には至っていない。多くの人を巻き込むためにも、まずはインドシナ難民について知ってもらうことが重要」と乾氏。行政から学生まで多くの人に住民集会や、バーシーの儀式と呼ばれる宗教行事など、インドシナコミュニティへの参加を呼びかける。

ベトナム、カンボジア、ラオスの「インドシナ3国」は、1975年にベトナム戦争が終結した後、社会主義国家となった。これを受けて約144万人が難民として海外に流出した。日本には約1万1100人のインドシナ難民が暮らす。この14%に当たる1573人が兵庫県に定住している。