インドからミャンマーに拉致された、英軍に強制連行された曽祖父の波乱の人生

ヤンゴン中心部に建つヒンズー教寺院の中。真ん中の像はヒンズー教の女神。ヤンゴンには南インド系の住人も多い

第2次大戦下のインド。自転車に乗っていたある男性は、何者かに誘拐された。彼は他の数人と一緒に、手を縛られたうえに目隠しまでされ、飛行機に乗せられる。そして行き先も知らされないまま移送される――。

拉致されたその男性は、ヤンゴン大学に通うビンディア・ティワリさんの曽祖父(ひいおじいさん)だ。

ミャンマーには、インドなどから移ってきた人々を祖先に持つ、南アジア系の人々が多くいる。イギリスの植民地だった時代に、同じイギリス領だったインドなどから、多くの出稼ぎ労働者が流入したことが大きな理由だ。しかし中には、本人の意志とは関係なく強制的にミャンマーに連れてこられた人もいた。ビンディアさんの義理のひいおじいさんも、そうした人のひとり。ミャンマー(当時ビルマ)に移送された彼は、その後数奇な運命をたどる。

ビンディアさんのひいおじいさんを拉致したのはイギリス陸軍。ビルマに移送した後、イギリス軍に入隊するよう彼に要求した。当時、日本軍と戦っていたビルマ在留のイギリス軍は、読み書きが堪能なインド人の兵士を求めていたのだという。しかし、ビンディアさんのひいおじいさんは入隊を拒否。それが理由でイギリス軍から死刑宣告を受けてしまう。

宣告を受けた彼は落胆するが、最期に功徳を積んであの世に行こうと決心する。ヒンズー教徒だった彼は、ヒンズー教の聖典を読み、刑務所内で模範的な行いを続けた。その行いが認められ、恩赦をもらい釈放される。

大戦が終わっても、ビンディアさんのひいおじいさんはインドに戻らなかった。ビンディアさんによると、彼は「時間がたちすぎて、自分がいない状況に家族がもう慣れてしまったと思った」と述べていたという。インドに残してきた息子2人とは、連絡こそ取れど、ともに暮らすことは二度となかった。

「彼が、自分を拉致したイギリスに、怒りや憎しみを抱くことはなかったと思う」とビンディアさんは話す。「戦争中に法なんてあってないようなものだから。法外なことが起こるのはよくあることだわ」

ビルマに残ることを決めたひいおじいさんはその後、ネパール人の女性と結婚した。マンダレー州のモゴという町で、ルビーなどを扱う宝石商を営んだという。
100歳を超えるまで長生きした彼は生前、ビンディアさんにこう言って笑ったそうだ。「私がお前の歳くらいのときにはもう死んでいるはずだったが、それからこんなに長生きするとはね」