フィリピンで今、英語とタガログ語(フィリピン語)をミックスした文体の本が若者を中心に人気だ。
「Mahigpit ang tatay ni Harriet sa kanya dahil ayaw nitong tumulad siya sa kanyang ina. It was okay with her. Wala siyang love life at wala rin siyang social life.」(ハリエットの父は、ハリエットに母親のようになって欲しくなかったため、厳しかった。ハリエットはそれでもよかったが、恋愛やソーシャルライフもなかった)
上記は「Bistro Guwapo」(ビストロ・グワポ)という恋愛小説シリーズの裏表紙から抜粋したもの。タガログ語で書き出し始めたかと思いきや、途中で英語に変化している。このような不思議な本が、フィリピンの代表的な本屋「ナショナル・ブックストア」で数多く置かれている。
こうした本を子どもたちは「ワットパッド・ブックス」と呼び、娯楽として読んでいる。友達と本屋を訪れていたセブの女子高校生たちに、2つの言葉が混ざっていて読みにくくないかと尋ねると、「いいや、それがフィリピン人にとってナチュラルだし、この国では普通だよ」と口を揃えて言う。
ワットパッドとは、もともとカナダで誕生したネット上のプラットホーム。ユーザーが定期的に更新をすることで書き上げていく電子書籍サイト「ワットパッド」を指す。フィリピンは世界のワットパッド市場で2位を占める。1位はアメリカ。2014年にはフィリピンの大手出版社のサミット・メディアと提携して本による出版も始めた。それだけでなく、民間テレビTV5で人気なストーリーは実写化されるようになり、さらには映画化もされている。
ワットパッドがフィリピンで人気を博すのは主に2つの理由があると考えられる。まず、大衆向けのメディアとして優れているからである。誰もが簡単に自分の書きたいものを大勢の人に読んでもらえる。投稿者はすぐに読者からのフィードバックを受け、次の投稿を更新できる。
もう一つの理由は、読者が実際日常的に使っている「ナチュラル」な表現を使っていることにある。フィリピンでは統一した言語を使うよりも複数の言語を混ぜた言葉が「ナチュラル」なのだ。
実は、フィリピン人は普段から言語を巧みに使い分けている。例えばセブ市では母語がセブ語(セブアノ)だ。家族や同じセブ出身者同士では主にこのセブ語を使って会話をしている。しかしフィリピンでは地域ごとに言語が100以上にも分かれているため、全国共通の言葉、英語とタガログ語も使う。それが混ざって「タグリッシュ」が生まれた。
しかし、タガログ語と英語を混ぜることに対して違和感を感じる人もいる。フィリピン大学セブ校で心理学を専攻する1年生のジュディーさんは「混ぜて話している人は『maarte』だと思うわ」と言う。「Maarte」とはタガログ語とセブ語で高飛車、かっこつけ、などの意味をもつ言葉。「(教育を受けている)上流階級に行けば行くほど英語やタガログ語のミックスが浸透」(ホテル従業員のタスさん)することや英語への傾向が高まることを考えると、まるで自分の階級や知能の高さを見せつけていると捉えてしまってもおかしくない。日本で横文字を過度に使う人を嫌がる感覚と似ているのかもしれない。
結婚のプロポーズは「英語の方がロマンチックだから『Will you marry me?』とお願いした」(ホテル従業員のジュニさん)という人もいる。それでも、セブ出身の人は皆セブ語が最も感情表現しやすいそうだ。よって、「怒っているときや悲しいときにはセブ語でそのことを表す」(フィリピン大学セブ校1年生のレスパーさん)。したがって結婚のプロポーズはやはり「自分の気持ちをちゃんと伝えたいからビサヤ語でしたし、そっちの方が適切だ」(ホテル従業員のピージーさん)という人もいる。
ワットパッドはフィリピンで成功し、拡大し続けている。子どもたちは2つの言語をミックスして使う文体の本をまとめて「ワットパッド・ブックス」というものとして認知するほどである。タグリッシュもそれに後押しされ、今後はより一層浸透していくのではないかと予想される。
今や一つの言語だけを使うことは時代遅れなのかもしれない。日本も和洋折衷が浸透しているものの、フィリピンの「ハロハロ文化」には及ばない。「ハロハロ」とはタガログ語で「ごちゃ混ぜ」を意味するが、フィリピンはまさに文化がハロハロなのだ。フィリピンは少なくとも言語の面では、先進国をも勝る世界のフロントランナーといえそうだ。