「ごみ山のコミュニティーは撤去されてほしくない。今の生活は安定しているし、他に行くところはない」。そう語るのはフィリピン・セブ市イナヤワン地区に住むタタさん(42)。彼女は、夫、息子3人、娘1人、そして家畜の豚9匹とともに、大きなごみ山と隣り合わせの生活を送る。
5年前に近隣から新しい生活を求めて、このごみ山の前のコミュニティーに引っ越してきたタタさん一家。2年前まで夫はスカベンジャー(ごみを拾って売る人)として、運が良ければ1日300ペソ(約720円)、悪ければゼロという不安定な稼ぎ方をしていた。今は建設作業員として毎日300ペソの日当をもらっている。また「長女(18)がセールスパーソンという安定的な職につけた」とタタさんは喜ぶ。
さらに、豚のブリーダーをしているタタさん。メス豚を2匹と、1カ月前に生まれた子豚7匹を、高床式住居の床下で飼育している。子豚を3~4カ月ほど育てたら、マーケットで売る。よくて1匹5000~6000ペソ(約1万2000円~1万4400円)の値段が付くそうだ。
家族でそれぞれが別々の仕事をして収入を得ることで、ごみに頼っていたときよりも安定した生活を送っている。
そもそもこのごみ山ができたきっかけは、1995年に国際協力機構(JICA)が建設した衛生埋め立て地にある。経済発展と人口増加によってごみの量が激増。対処しきれなかったため、ごみ山になってしまった。そして2015年、ごみの搬入を停止し、今後はリサイクルセンターを建設する予定。現在、ここの住民らはいつ追い出されてもおかしくない状況にある。すでに移動を命じられ、家を取り壊された人もいる。
タタさんはごみ山コミュニティーを「自分の居場所」と言う。追い出されてしまったら、新しい住処を見つけなければならない。家畜は一緒に連れて行けないため、別の収入源を探す必要もある。ごみ山に頼る生活からは抜け出せたものの、次の居場所を見つけることが今後の課題となりそうだ。