侵略した“憎い日本”をミャンマー人が許す4つの理由とは?

MAJA副代表のミョウ・キンさん。ミャンマー国立医療研究所の前所長で、自身はあまり日本語が話せないが岡山大学の教授も務める。父は第2次世界大戦の間、京都大学に留学しており、娘も東京工業大学の留学経験者

第2次世界大戦の間、日本軍は独立を求めるミャンマー(当時はビルマ)を占領し、多くのミャンマー人を虐殺した。ミャンマー人のほとんどは「過去は忘れ、今の日本は許している」と口をそろえる。その理由を考察すると、4つの理由が浮かび上がってきた。

理由1:学校で戦争を教えない

ミャンマーの学校では、歴史の授業で戦争について「ミャンマーを占領していたイギリス軍を日本軍が追い出した。日本軍はミャンマーをそのまま占領したけれど、連合軍に負けたから引き上げた」と簡単な流れを教えるだけ。資料館に行って学ぶ機会は特にないという。

スー・ミャン・ニュウさん(22歳)は「中学生の時に歴史の授業で概要を学んだ。でも詳しいことは聞いていないなあ。年配の人からは、戦争が終わってすぐに、日本兵とミャンマー人が互いに仲良くしようと約束した、と聞いた」と話す。

毎年20人のミャンマー人大学生を日本に派遣するミャンマー元日本留学生協会(MAJA)のミョウ・キン副代表(63歳)は、日本軍の支配について「戦争では確かに多くのミャンマー人が殺された。でも私たちミャンマー人は許すこと、忘れることを好む民族なんだよ。学校ですべてを教えるべきとは思わないし、若い人たちには戦争(イギリス軍、日本軍による占領)のことをできれば忘れてほしいな」と話す。

理由2:日本のアニメが大好き

ヤンゴンの路上を走る車のおよそ9割は日本車だ。また、ワンピースやハローキティといった日本のアニメやキャラクターが若者の間では大人気。心が落ち着くから生け花の文化が大好き、というミャンマー人もいる。「将来働くなら、文化も似ていて、発展している日本がいい」とヤンゴン大学で英語を専攻するサンダー・トゥンさん(19歳)は話す。

理由3:日本語試験を7000人が受験

ミョウ・キンさんは「文化がミャンマーととても似ている日本への留学生は年々増えている。日本語能力試験(JLPT)には1年におよそ7000人のミャンマー人が受験しているんだ。MAJAが募集する日本人留学生の枠(20人)にも100人以上が応募してくるよ。トヨタなど日本車がミャンマーでは多いのもあって、エンジニア志望で日本に留学する人が一番多いね」と話す。

ちなみに彼は「ミャンマーでも女性の方が賢いから男性より留学生数は多いね。日本と同じじゃないかな?」と笑う。

ヤンゴンでホテルを経営し、1992年に来日して4年間レストランで働いた経験をもつティン・アウン・ウィンさん(50歳)は「日本兵がミャンマー人の爪をはいだり、殺して土に埋めたり、ご飯を与えずに働かせたりという話は父母やおばから聞いたよ。だから日本に行くときは実は恐かった。でも日本に行ったらみんなとても親切だったし、勤勉だったから驚いたよ。今は日本兵を憎いとは全く思わないよ。むしろ日本は好きだね」と話す。

理由4:車が大破しても気にしない

敬虔な仏教徒やキリスト教徒が多いとの理由で説明できないほど、ミャンマーの国民性はとてもおおらかだ。ミャンマーで唯一のロードサービス業を営む山口弘隆さん(52歳)は「ひっくり返って大破してしまった車の修理に行ったら、笑顔で迎えてくれ、ものすごく感謝された。その挙句、車の前で一緒に記念写真を撮られたよ。日本人なら、大事な車が壊れたなんてことになったら僕らに八つ当たりしてくるよね」と微笑む。

ヤンゴンの街を歩いていると、「一緒に歌を歌わない?」と誘われることがある。そんなとき、どこからともなく椅子を人数分出してきてくれる。外国人に対する心配り、おもてなしの気持ちが日本人以上にスマート。こうしたおおらかな国民性も「かつての戦争を許す」理由の根底にあるのかもしれない。

ヤンゴンのマーケットでミャンマーの子どもや女性が使う日焼け止め兼化粧品の「タナカ」を試しに塗ってもらう様子。懐の深いミャンマー人は微笑むとみんなはにかんだ素敵な笑顔を浮かべてくれる。昔の日本人を感じさせるような控えめな人が多い

ヤンゴンのマーケットでミャンマーの子どもや女性が使う日焼け止め兼化粧品の「タナカ」を試しに塗ってもらう日本人男性。懐の深いミャンマー人は微笑むとみんなはにかんだ素敵な笑顔を浮かべてくれる。昔の日本人を感じさせるような控えめな人が多い