「ミャンマーでは落ちこぼれだった学生ほど教師になるんだ」。冗談のようなことを真顔で話すのは、ミャンマーの少数民族チン族の小学校教師リリオさん(33)だ。
その理由は、ミャンマー独自のスコア(成績)重視型の教育と職業選択の仕組みにある。この国では学校の試験の点数に応じて将来の職業を決めるのが一般的。その下層に位置するのが小学校や中学校の教師。このため「でもしか先生」が増えているのだという。でもしか先生とは、先生に“でも“なるかと消極的に教職に就く人、他に技能がなく先生に“しか“なれない人を揶揄する言葉だ。
■「下層」は単純労働者と教師
ミャンマー北西部、インド国境にほど近いチン州タントラン地区。郊外にあるチン族の小学校がリリオさんの仕事場だ。年季の入った木造校舎は隙間だらけで電気もない。ここで子どもたちを前に教壇に立つのが「生きがいだ」という。
「地方ではスコアの高い学生は高収入・高待遇の仕事を求めて、ヤンゴンやマンダレーなど都市部に移り住んでしまう。残って教師をするのは、地元に愛着のある良い人ばかりだ」。この言葉が意味するところは深い。ミャンマーでは学業成績がその人の“人生”をほぼ決めてしまうからだ。
仕組みはこうだ。高いスコアをもつ学生は上級公務員やエンジニア、軍医を含む医療関係に進むのが定番コース。中位は金融(主に銀行)をはじめとする民間企業で働くホワイトカラー層だ。小売、製造業、自営業などで単純作業に従事するのが下層。驚くことに教職(特に小学校、中学校)はこの「下層」に当てはまる。
もちろんスコアはひとつの「基準」で、職業選択にあたって強制力はない。ただ、現実的にスコアの高低、また出身学校が就職にモノをいうところは大きく、学校の教師をはじめ両親や周囲からの圧力もあり、学生が自分の好みで職を選ぶことは難しいと聞く。
■教師は一番簡単な「公職」
「誰もが高いスコアをとって、待遇の良い国の機関や企業で働けるわけではない。でも唯一、学校の教師だけがスコアが良くなくても決まった教職過程さえ修了すれば『公職』に就ける道なんだ」。リリオさんは教職志望者が増える理由をこう話す。
ミャンマーの公務員の中で最も門戸が広い教職。収入は小学校勤務で月10万~18万ミャンマーチャット(1万~1万8000円)。決して多くはないが、収入が安定しているため消去法で教職を選択する学生も少なくない。でもしか先生が増える背景にはこうした事情もある。
ただ、でもしか先生にでもなれればラッキーなほうだ。ミャンマーで教職に就くには最低でも初等教育(小学校)課程を修了し、高等教育機関(大学や養成校など)の教職コースを履修完了するのが条件。現在、ミャンマーでは大学の進学率は2割にも達しない。それ以前の中等課程(中学校、高校)もドロップアウトが多いため、修了率は全国平均で3割にも満たないのだ。
にもかかわらず、現場で働く当の教師からはこんな声も聞く。「消極的に先生になることを選んだ人はミスマッチですぐに辞めたり、待遇の良い上級学校へ移ってしまう。だから小学校には良い教師が根付かない。スコアの良し悪しだけで進路を決めるのも酷な話だ」
■「暗記」か「ディベート」か?
ミャンマー型のスコア偏重教育を象徴するのが、詰め込み型の「暗記教育」だ。特に初等・中等課程では多くの単語や文章を覚えることに重点を置く。「なぜ」と考えたり、学生に意見を表明させたりすることはほとんどない。
試されるのはいかに教科書・板書を覚え、試験でそれを復元できるかという暗記力。自分で考えて答えを導き出すような力は試されないし、創造性や表現力も求められない。暗記重視は教員養成校でも同じ。驚くことに、教師によっては教科書に書いてあること以外は知らない、という人も珍しくないのだ。
最近でこそ批判的に考えたり、議論の重要性が認識されはじめ、ミャンマーの教育省も、国際協力機構(JICA)や国連児童基金(UNICEF)などの援助機関とともに教育システムの近代化に乗り出した。ただ、都市の一部の学校を除き、現場を見る限りまだまだ「暗記信仰」は根強い。
欧米型のディベートや批判的に考える教育がより優れているとは限らない。またディベート教育が、公然と議論することを好まないミャンマー人に合っているとも思えない。ただ、過度に暗記に力を注ぐあまり、物事に対して疑問を持たなくなったり、暗記の不得意な学生のスコアが伸びず、将来の選択肢が狭められているとしたら国にとって大きなマイナスだ。
「先進国を完全にコピーするのではなく、勤勉でコツコツ仕事に取り組むミャンマー人に合った人材育成の方法があるはず」。国際機関や外資系NGOで働く“進歩的”なミャンマー人はこう言う。長年の「鎖国状態」が終わり、今まさに国際基準に沿った国作り・人作りを進めようとしているミャンマー。ソフト面での発展はまだまだ時間がかかりそうだ。