カンボジアの地雷問題を考える、悪いのは誰だ?

シェムリアップ中心部にある土産物屋で働くトルさん。地雷で左足を失っても立って接客する

カンボジアに埋められた地雷の責任は誰にあるのか――。カンボジア内戦が1993年に終わって23年。終戦後の97年に地雷で左足を失ったカンボジア人男性トルさん(28)は「戦争には特有の事情がある。今になって誰が悪いとは言えない」と冷静に話す。しかしその言葉とは裏腹に、地雷被害者にとっては今も「過酷な現実」が存在する。

■自責の念から撤去活動

トルさんが左足を失ったのは9歳の時だ。石を投げて地雷を爆破させる遊びを友だちとしていた際、誤って自分のそばに石を落とした。一緒に遊んでいた友だち4人のうち3人が命を落とし、1人が手足を失うことに。「その瞬間は何も感じなかった。気がついたら病院にいた」。その後、地雷で障がいを負った子どもたちの施設で育った。

この施設はシェムリアップにある。運営するのは、地雷の撤去活動で世界的に知られるカンボジア人、アキ・ラーさんだ。1973年にシェムリアップで生まれたアキ・ラーさんは10歳のときから10年間、ポル・ポト派の子ども兵として地雷を埋めた。

だが93年の内戦終結後、アキ・ラーさんが20歳のときに国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の地雷撤去活動を手伝うようになる。そこで目の当たりにしたのが、地雷で傷つき、苦しんだ多くの人たち。地雷を埋めた過去の自分に対する自責の念から、97年から単独で地雷除去活動を始める。99年には地雷博物館もシェムリアップにオープンさせた。

地雷を埋めたアキ・ラーさんの「責任」についてトルさんは「戦争には特有の事情がある。今になって誰が悪いとは言えない。(地雷を埋めた)アキ・ラーさんのことを憎んでいないし、また責めるつもりもない。むしろアキ・ラーさんの地雷撤去活動は素晴らしい」と語る。

アキ・ラーさんは20~35歳の間に約5万個の地雷を除去した。35歳のとき(2008年)にNGO「CSHD(カンボジアン・セルフ・ヘルプ・ディマイニング)」を立ち上げ、現在も25人でタイとの国境沿いに残る地雷を撤去している。

■大卒エリートなのに警備員

トルさんは、地雷被害の責任は誰にあるとは言えないと話すが、地雷被害者にとって日々の生活は厳しい。というのもトルさんは地雷によって足を失っただけでなく、さまざまな「壁」と戦い続けているからだ。

そのひとつがトラウマだ。「(地雷が完全撤去されたといわれるシェムリアップの中心部でも)道端にある鉄くずを見ると、地雷を踏んだ瞬間がフラッシュバックしてくる。絶対に100%安全なところでないと住みたくない」と心情を吐露する。

もうひとつは生活の糧をどう得るかだ。トルさんは、地雷被害者を支援する基金から奨学金を得て、シェムリアップ最大の私立大学のビルド・ブライト大学(BBU)に通い、卒業した。カンボジアの大学進学率は10%程度だから、トルさんはいわゆるエリートの部類に入る。にもかかわらず、トルさんが最初に就いた仕事はバイク駐車場の警備員だった。月収は80ドル(約8000円)。当時(11年)の最低賃金60ドル(約6000円)と比べてもエリート層には見合わない額だ。

トルさんは現在、シェムリアップの中心部にある土産物屋で働く。店には銃弾を加工した指輪などの装飾品や、地雷被害者が作った雑貨が並ぶ。今の月収は155ドル(約1万5000円)という。

「将来は、カンボジア人向けの小さな食料品店をオープンさせたい。今は自宅、仕事場、実家を行き来しているが、店を持てば家族を近くに呼べる。移動しなくて済むようになる」と語る。

「差別はない」とトルさんは何度も繰り返す。ただ「地雷を踏んだ人が差別されるのはおかしい」と発する言葉の行間に、正規の仕事を得るまでの苦悩をにじませる。

地雷博物館を建てるために、アキ・ラーさんは地雷を撤去しながら、さまざまなタイプの地雷を集めた。博物館の中央に展示される。写真左は、アキラ(アキ・ラー)地雷博物館でボランティアガイドを務める川広肇さん

地雷博物館を建てるために、アキ・ラーさんは地雷を撤去しながら、さまざまなタイプの地雷を集めた。博物館の中央に展示されている。写真左は、アキラ(アキ・ラー)地雷博物館でボランティアガイドを務める川広肇さん

■地雷撤去が被害者の仕事?

同じ施設で育った地雷被害者の中には、トルさんとは対照的な道に進んだ人もいる。シェムリアップにあるアキラ(アキ・ラー)地雷博物館でボランティアガイドを務める川広肇さんによると、少なくとも2人が地雷撤去を仕事にする地雷被害者がいる。うち1人は結婚を機に、おそらくお金が必要でこの仕事に就いたという。

地雷撤去の仕事は想像以上に過酷だ。1カ月のうち25日は、タイ国境沿いのジャングルに入る。灼熱の中、金属探知機を頼りに命がけで地雷を探していく。

月収は250ドル(約2万5300円)。カンボジアの最低賃金140ドル(約1万4100円)の約1.8倍と一見すると悪くないように映るが、仕事の意義が高い半面、3K(きつい、危険、汚い)労働だ。

地雷で手足を失った被害者が地雷で生計を立てる――。被害者にとっては、責任論の前に生活があるのも事実だろう。生きていくために、地雷被害者が地雷で食べていくという皮肉な構図がカンボジアにはあるのだ。

地雷はまた、被害者だけでなく、一部の国家権力者にとっても飯のタネになっている。

カンボジア政府はかつて、地雷撤去で成果を挙げるアキ・ラーさんに対し、地雷撤去活動を禁止するよう命じた。建前上の理由は、地雷除去の活動中に負傷者が数多く出たため。だがCSHDのメンバーが地雷で負傷したことはない。

ではなぜ、カンボジア政府はCSHDの活動を妨害しようとしたのか。関係者の話を総合すると、カンボジアには地雷があるから援助が入ってくるが、一部の権力者はそうした援助の一部を横領し、私腹を肥やしているという。だから彼らにとって地雷はカンボジアにあり続けないといけないのだ。

カンボジア政府の理不尽なやり方にも負けず、アキ・ラーさんは04年から地雷撤去技術を学び、06年には地雷撤去の国際的なライセンスを取得。43歳となった今もなお地雷撤去を続ける。

カンボジア人にとって地雷とは何だろうか。取材を通して浮かび上がったのは、責任の所在よりも、いろんな立場のカンボジア人と地雷の関係性。カンボジア社会が抱える闇といえるかもしれない。本当の意味での内戦終結は、地雷がすべてなくなった時に訪れるのだろう。

地雷博物館で売られていた「地雷せっけん」。値段は5ドル(約500円)。収益金を使って、まだ残る地雷をクリーンにする。地雷の形をしているのが特徴

地雷博物館で売られていた「地雷せっけん」。値段は5ドル(約500円)。収益金を使って、まだ残る地雷をクリーンにする。地雷の形をしているのが特徴