JICA・三菱商事・住友商事・丸紅などが開発するミャンマー「ティラワ経済特区」、「立ち退かないと投獄するぞと脅された」と住民が告発

ティラワ経済特区の立ち退きの現状を語るピョーウェーさん(左)とタンイーさん。ピョーウェーさんは「これまで通っていた寺に行けなくなる」、タンイーさんは「11人の子どもが学校に通えなくなった」とそれぞれ話す

日本の政府開発援助(ODA)を使ってミャンマー・ヤンゴン南東部に開発が進められている工業団地「ティラワ経済特区」で、一部の住民が立ち退きを迫られている。ティラワで活動する日本のNGOメコン・ウォッチ(東京・台東)の協力を受け、立ち退き被害にあった住民4人がこのほど来日。タンイーさんは「立ち退きの通告を受けてから14日以内に出ていかないと投獄するぞ、とミャンマー政府から脅された」と訴えた。移転に伴い失った農地に対する十分な補償も受け取っていないという。

■移転先は飲み水も仕事もない!

事の発端は、ティラワ経済特区の第1フェーズ(面積400ヘクタール)に住んでいたタンイーさんらが2013年1月に受け取った通知だった。そこにはこう書かれていた。差出人はミャンマー政府だ。

「経済特区を造営するために14日以内に立ち退かなければ、刑務所に30日間入ることになる」

タンイーさんらは唐突な退去通告に反発。ミャンマー政府に対して説明を求める。これを受けてヤンゴン管区政府は13年6月11日に住民協議会を開催した。だが「十分な説明はなかった」と住民は納得しなかった。「協議会は一方的に進められ、自分たちが発言する時間さえ与えられなかった」とタンイーさんは当時を振り返る。

ティラワ経済特区第1フェーズは13年11月に着工し、15年9月に一部がオープンした。その際に68世帯が移転を強いられたという。タンイーさんらが移った先は、ティラワ経済特区の東で、「雨季には地面が水浸しになるところ」。衛生環境は劣悪で、また仕事がないという悩みを住民らは抱える。

とりわけ深刻なのはごみと水の問題だ。タンイーさんは「15年12月からごみ収集は始まったが、スケジュールは不定期。乾季には水が不足し、雨季もきれいな水はなく、年中通して飲み水がない。移住してから8人が死亡した」と話す。

就労機会を失ったのも大きい。住民らは、移住前は農民だった。ところが農地を補償されなかったため、その仕事はない。「キノコの栽培や自動車の運転といった職業訓練を政府は提供し、現在は25人が参加している。しかし得た技術を実際に生かして働く場所がない。家具を担保に入れ、高利貸しから借金をする住民や、現在の移転先を見限って他の場所に移っていった人も20人以上いる」(タンイーさん)

■第2フェーズの住民ら無視される

住民らは16年5月、自助団体「ティラワ社会開発グループ(TSDG)」を組織した。第1フェーズで職も飲み水も失ったことを教訓に、互いに助け合うのが目的だ。

TSDGは、16年10月に着工予定の第2フェーズ(面積700ヘクタール)に対する環境アセスメント(EIA)の協議・改善を求めている。EIAに対するコメント期間は30日間しか許されず、期限が来るとEIAの文書は回収されたことにTSDGは反発した。

回答期限が短すぎると抗議の文書をTSDGが送ると、専門家が対応にやってきた。しかし住民の質問には全く答えなかった。第2フェーズの対象地域に住むエイテイさんは「何のフォローもないままEIAの最終版が国際協力機構(JICA)のウェブサイトに掲載された。しかも最終版の存在は請負業者(日本工営)からではなく、メコン・ウォッチから知らされた」と怒りをあらわにする。

第2フェーズの対象地に住むピョーウェーさんは「自分たちも、現在苦しんでいる第1フェーズの住民たちと同じ苦しい状況になるのではないか」と危惧する。

また、TSDGで執行委員を務めるシャーラインさんは「私たちは事業そのものには反対していない。むしろ成功を願っている。だが住民が虐げられる状況が続くようであれば、この事業に反対せざるをえない」と話し、企業や政府に「対等な対話」を求めている。

ティラワ経済特区は、ミャンマーのヤンゴン市中心部から南東約23キロメートルのところにある。JICA、三菱商事、丸紅、住友商事の日本側が49%を、ミャンマー側が51%をそれぞれ出資する一大事業。12年10月に再開したJICAの海外投融資が初めてミャンマーで実施され、JICAもティラワを日本企業の進出のための大きな足がかりと位置づける。また、ミャンマー側の持ち株会社ミャンマー・ティラワSEZホールディングス(MTSH)は16年5月、15年10月に設立されたヤンゴン証券取引所に上場。財閥系のファースト・ミャンマー・インベストメント(FMI)に次ぐ2社目の上場企業となった。