「IS司令官との出会いは偶然だった」、イラクで拘束されたジャーナリスト常岡浩介氏に聞く②

ISが支配するイラク第2の都市モスルを取材中の常岡浩介氏(右)

イラク北部でクルド自治政府に10月27日~11月7日に拘束され、釈放後に日本に帰国したフリージャーナリストの常岡浩介氏(47)はganasの取材に対し「イスラム国(IS)のオマル・グラバー司令官と出会ったのは偶然。私はISのメンバーではない。支持もしていない」と訴えた。常岡氏のインタビュー第二弾を掲載する(第一弾はこちら)。

■「ISから名誉勲章をもらった」は誤報

――常岡氏はISのメンバーではないのですか。

「違います。クルド自治政府当局の取り調べに対し、『イスラム国の通訳を務めたことがある』『仕事ぶりが評価され、ISから名誉勲章をもらった』と私が自白した、とする記事をクルド系通信社『ルダウ』が11月3日に配信しましたが、全くの事実無根です。通訳を務める前に、私はアラビア語を話せません」

――ISの通訳と報道されたのはなぜでしょう。

「ISの司令官から、『イスラム法廷(裁判)を取材してほしい』と頼まれ、イスラム研究者のハッサン中田博士とともに招待されたことがあります。2014年9月のことです。私は記者として、中田博士は通訳としてISの支配地域を取材しました。当局が私と中田博士を混同している可能性があります」

■IS司令官はフェイスブック中毒

――ISの司令官と楽しそうに笑う写真を、常岡氏は過去にツイッターにアップロードしています。ISのメンバーと疑われてもおかしくないのでは。

「疑われるのも無理がないかもしれません。拘束が長引いたのは、私の携帯電話に残っていたIS司令官との写真が原因だと推測しています。しかしISの司令官と知り合ったのは偶然です。また写真を一緒に撮ったのには訳があります。

――その訳とは。

「私は2014年1月に、以前の取材で知り合ったチェチェン人の友人を頼り、ISの支配地域で活動するチェチェン人グループを取材しようとしていました。友人との事前の取り決め通り、トルコ国境近くにある村から川を越えたところにあるシリアのダルクーシュ村へ行きました。そこでチェチェン人コーディネーターと落ち合う予定でした。ところが、待ち合わせ場所の家に掲げてあったのはISの旗でした。

家主は、ISのオマル・グラバー司令官だと名乗りました。『はめられた!』と私は焦りました。ISといえば斬首。殺されるとの恐怖が頭をよぎりました」

――殺されないためにツイッターに写真をアップロードしたのですか。

「そうです。殺されないためには何らかの手段でオマル司令官をおだて、その場を切り抜けなければならないと考えました。

屋根をふと見上げると、自作のパラボラアンテナが取り付けられていました。トルコ側から飛んでくる微弱な電波を引いて、オマル司令官はネットサーフィンをしていたのです。大した娯楽がない場所なので、オマル司令官はフェイスブック中毒でした。

ですので私は、SNSを使ってその場を盛り上げようとしました。ツイッターに載せた写真は、そのときに撮影し、司令官の目の前でアップロードしたものです。できる限り友好的な態度を見せることで、斬首を回避しようと必死でした」

――その結果、殺されずに済んだわけですか。

「はい。あとで分かったことですが、私が取材する予定だったチェチェン人グループは、私の到着を事前にオマル司令官に伝えていて、オマル司令官の家でチェチェン人グループの迎えを待つ手はずになっていました。殺されることはなかったのです。ただその情報が私に届いていませんでした。死の危険を感じる羽目になりましたが、オマル司令官と『取材可能な関係』を築くことができました」

――オマル司令官とのやりとりはその後も続いたのですか。

「オマル司令官はフェイスブック中毒なので、昼夜問わず常にオンライン。いつ連絡してもすぐに返事がありました。ただ私はアラビア語ができず、オマル司令官は英語ができません。やりとりは『I love you』『Me, too』といった中身のないものがほとんどでした」

オマル・グラバーIS司令官(左)と常岡浩介氏が一緒に映った写真。これをツイッターに上げた(常岡氏提供)

オマル・グラバーIS司令官(左)と常岡浩介氏が一緒に映った写真。これをツイッターに上げた(常岡氏提供)

■ISへの密航手引きしたことない

――常岡氏は2014年10月、「私戦・予備および陰謀罪」に関与した疑いで家宅捜索を受けました。北海道大学の大学生(当時)を「ISの戦闘員としてシリアへの渡航を手引きしたこと」が理由でした。オマル司令官とのコネクションを生かし、大学生の渡航を手引きしたのですか。

「オマル司令官を含めIS関係者をこの大学生の紹介したことはありません。大学生とは、中田博士を通じて知り合いました。中田博士からは『この大学生を取材してほしい』と依頼されただけです。

私は2014年8月にこの大学生と会い、彼の決意を取材しました。戦火のシリアに行くのですから熱い思いがみなぎっていると予想していましたが、イスラム教やシリアの知識すらもっていませんでした。ISへの渡航は無理だと感じました」

――それでどうしたのですか。

「中田博士が『この大学生を今すぐにでもシリアへ渡航させたい』と主張したため、私のクレジットカードを使ってトルコ行きの航空券を買いました。クレジットカードを大学生がもっていなかったからです。航空券の購入履歴を警察に探られたことで、私に家宅捜索が及ぶことになったようです。

家宅捜索されたことで、私はオマル司令官に連絡を絶つよう告げました。盗聴や逆探知を避け、情報源を秘匿するためです。オマル司令官と連絡をとることはもうできません」

――オマル司令官との交流を通じてISに情が移ることはなかったですか。

「ISにとって大事なことは『中東にカリフ国をつくる』の一点です。そのためであれば人を殺すことも厭いません。ISのそんな思想に共感できません。彼らを支持するつもりも毛頭ありません。

ISは、自由シリア軍やヌスラ戦線など他のシリア反体制派組織とは違います。自由シリア軍などに集まってくる義勇兵は『アサド政権に殺される同胞を助けなければならない』という義務感から戦いに参加しています。それは、国境なき医師団の『医者として、傷ついた人を救わなければならない』というメンタリティに近いと私は感じています。

ですがISの兵士にはシリアの同胞を助けたいという意識はありません。自分たちの国を持ちたいとの思いだけです」(第三弾に続く