フリージャーナリストの常岡浩介氏(47)は、クルド自治政府に拘束された場所であるイラク北部のバシカにいた理由について「イラク第2の都市モスルをイスラム国(IS)から奪還するクルド人部隊(ペシュメルガ)の作戦を取材するためイラク入りした。現地で取材する日本人が誰もいなかったからだ」と語った。常岡氏のインタビュー第三弾(最終回。第一弾、第二弾)。
■取材許可に600ドル
――イラクになぜいたのですか。
「イラク軍やクルド人部隊(ペシュメルガ)が10月17日から進めている、ISのイラク最大の拠点モスルの奪還作戦を取材するためです。
モスル奪還作戦が始まるとの情報を私はウクライナで入手しました。イラクでは、中東を専門とする日本人のフリージャーナリストが4人活動しています。私の出る幕はなく、モスル奪還作戦を取材するつもりはありませんでした。
ところが4人全員がたまたま日本に帰国中で、日本人が現地に誰もいないことがわかりました。CNN(米)やAFP(仏)をはじめ欧米の主要メディアはモスル奪還作戦の取材に集結しています。日本人ジャーナリストの誰かが取材しなくては奪還作戦のもようを日本に伝えられない。だから私は取材に行ったのです」
――どんなルートでイラクに入ったのですか。
「イラクの首都バグダッドの入国管理局では報道ビザが降りないとの話を聞いていました。ですので、クルド自治政府の支配下にあるイラク北部の街エルビルに飛びました。エルビルではクルド自治政府が入管を担っています。日本人であれば報道ビザは簡単に発給してくれるようでした」
――ペシュメルガの従軍取材許可はどう取得したのですか。
「ペシュメルガへの従軍取材の受付窓口がエルビルにあります。正規に申請すると手続きに時間がかかるという噂があったので、急ぎの今回は、現地で力をもつコーディネーターに手続きの代行をお願いしました」
――料金はいくらかかるのですか。
「立ち入り制限区域に入るのに1回200ドル(約2万2000円)。一度入ったら何日でも滞在できます。私は日本のテレビ局に映像を送るため、区域の外に出る必要がありましたので、計3回で600ドル(約6万6000円)をコーディネーターに払いました」
■政府側勢力へのケア足りず
――戦闘地域に入るのは怖くないですか。
「もちろん怖いです。しかしモスル奪還作戦では『IS』と『ペシュメルガ・イラク軍・米軍を中心とする多国籍勢力』の間に圧倒的な力の差があります。ISはSNSを活用した残虐動画の配信などのプロパガンダ戦略は上手いですが、軍事力は多国籍軍に対抗できません。ペシュメルガ側で取材する限り死ぬことはないと判断しています」
――取材中に身の危険を感じたことはありますか。
「ほぼありません。危険地帯に入る際は対策をとっています。ISの支配地域を初めて取材したときはチェチェン人グループと行動をともにしました。チェチェン人はアラブ人より体格が良くて屈強。粗暴な人も多いです。チェチェン人を恐れる人はたくさんいます。だからチェチェン人と一緒ならば、襲われる可能性は低いと考えました。
2回目にISの支配地域を取材したときは、ISの司令官からの招待がありました。残虐なISも、司令官に招待されて滞在している人を攻撃することはありません。私自身もイスラム教徒なので、それで危険が回避できる側面もあると思います」
――しかし過去に何度も拘束されています。
「直近では、2010年にアフガニスタンで、2011年にはパキスタンで拘束されました。私を拘束したのはいずれも政府側の勢力。反体制派や過激派の組織には捕まらない工夫をしていましたが、政府側勢力へのケアが足りていませんでした。
今回も同様で、クルド自治政府への配慮が足りず、ISのロゴが刻印されたキーホルダーを持ち歩いていたことで、拘束されてしまいました。日本の皆さまには大変ご心配をおかけし、申し訳ありませんでした」
■安田純平さん救いたい
――戦場の取材は今後も続けますか。
「準備を整えて、また取材に復帰します。ウクライナの取材を途中で切り上げてイラク入りしたため、取材は中途半端なものになってしまいました」
――ウクライナでは何を取材していたのですか。
「シリアの反体制派組織ヌスラ戦線に2015年6月から拘束されているフリージャーナリスト安田純平さんを助け出すため、クリミア・タタール民族会議のヌスタファ・ジェミレフ前議長を取材しようとしていました。ジェミレフ前議長はトルコのエルドアン大統領と関係が深い。エルドアン大統領はヌスラ戦線に影響力があるといわれます。ジェミレフ前議長と会って、ヌスラ戦線に拘束されている安田さんの解放を働きかけられないかと考えています。機会をみつけ、早くまたウクライナに戻りたいです」