「おい、WY(覚せい剤であるヤーバーの一種)いらないか」。こう聞かれたのは、ミャンマーの最大都市ヤンゴンで深夜にタクシーを拾った時のことだ。最初は何を言っているのか分からなかった。ドライバーがアルミニウムの切れ端に包んだピンク色の小さな錠剤を見て、私は即座にタクシーを降りた。この国で初めて薬物の購入を持ちかけられた瞬間だった。
■ヤーバーは1錠300円!
ヤンゴンでは毎夜、薬物をやりとりする光景が繰り返されている。
「ミャンマー政府は長年、麻薬の撲滅に取り組んできた。だが、まだまだこの国は薬物に汚染されている」。こう切り出したのは、ミャンマー国立麻薬撲滅博物館の館長を務めるニーニーリンさん(59)。今の懸念は特に都市部での覚せい剤の流通と乱用だと言う。
「これが、今一番摘発の多いヤーバーという薬物だよ」。専門雑誌を開き、見せてくれたのは極彩色をした小さな錠剤だ。ヤーバーはメタンフェタミン系の覚せい剤の一種。摂取すると一時的に頭が冴えるような感覚になるため、主に若者の間で「パーティ・ドラッグ」として使われる。
ミャンマーで薬物といえば「ゴールデン・トライアングル(ミャンマー・タイ・ラオス国境にまたがる麻薬の一大生産地)」で製造されるアヘンやヘロインが思い浮かぶ。しかし、その多くが海外に輸出されるため、国内の都市部で流通するのはヤーバーなどの覚せい剤が多い。
覚せい剤の主な売り買い場は、都市部のナイトクラブやKTV(カラオケ)など夜の店だ。相場は錠剤一つで3000~5000チャット(300~500円)。同じく中毒者の多いヘロインやエクスタシーなど他の薬物に比べて安く、入手しやすいことも常習者が増える理由の一つだという。
■薬物犯罪は5年以上の禁錮刑
「薬物は若者にとってファッションなんだよ。だから後先を考えずに手を出す人が後を絶たない。常習性が一度ついたら抜け出せるのはごく一部だ。私は若者が薬物中毒で廃人になる例をいくつも見てきた」。その言葉の通り、ヤンゴンでは薬物絡みの事件や逮捕の報道が絶えない。
薬物犯罪に対するミャンマーの法律は厳しいとはいえない。薬物所持や使用は初犯で5年以上の禁錮刑のみ。罰金すら払う必要がないのだ。ミャンマー政府は取り締まりの強化を急ぐが、ニーニーリンさんは厳罰化に意味はないと言う。
「厳罰化に犯罪抑止力はあまりない。それより薬物について正しい知識と恐怖心をもたせるがより大事だ。乱用防止への啓蒙教育が何より必要だ」。これまで何度も同じことを訴えてきたのだろう。時折むせながら熱く語る。
■軍政のほうがマシだった
しかし、その中核となるべき麻薬撲滅博物館は連日閑古鳥が鳴く。3階建ての白亜の建物はコンクリートがあちこちむき出しになり、内部の展示もハトのフンやクモの巣で汚れが目立つ。
「政府は博物館職員の給与しか支給しないから、建物や展示の維持管理に回す予算さえないんだ」。入場料はミャンマー人で200チャット(約20円)、外国人でも3ドル(約400円)と安い。展示の照明代にもならないのだと話す。
「薬物対策という面だけなら軍事政権のほうがマシだった。大規模な麻薬撲滅運動を全国で行っていたし、予算も潤沢だった。今のNLD政権(アウンサンスーチー氏が率いるミャンマー与党「国民民主連盟」)はこの博物館の存在を知っているかさえ怪しいものだ」
それもそのはず、博物館が建てられたのは軍政下の2001年。やや滑稽だが凝った数々の展示は、当時の軍政の麻薬撲滅へ向けた取り組みを内外へアピールするための重要なプロパガンダ(宣伝材料)だったに違いない。博物館の正面入口に今なお居座るのは、当時の最高権力者であったタンシュエ元議長の肖像画だ。
「私も来年で定年だ。薬物の汚名を拭い去って、ミャンマーはクリーンな先進国になってほしいが‥‥。もうしばらく時間がかかるだろう」。こう締めくくったニーニーリンさんは心なしかやつれて見えた。