カンボジアで地雷を除去しているカンボジア人のアキ・ラー氏を4年間支援する日本人がいる。川広肇さん(63)だ。川広さんはシェムリアップにあるアキラ地雷博物館でボランティアガイドをしながら、「アキラ地雷博物館・日本人応援団」を設立し、団長としてアキ・ラー氏の活動をサポートしている。(本名は「アキ・ラー」や「ラー」などいくつかあるが、博物館や書籍では「アキラ」と表記される)
アキ・ラー氏はカンボジアを代表する地雷除去活動家だ。元ポル・ポト兵で、1980年代の内戦中は地雷を埋めていた。当時は意味も分からず命令されたとおりに地雷を埋めていた。だが終戦後、地雷被害の悲惨さを目の当たりにし、「戦時中はずっと悪いことをしたから良いことをしなければならない」と感じた。地雷除去の技術を独学で身につけて、除去した地雷を展示するアキラ地雷博物館を1999年にシェムリアップ市内に設立(2007年にシェムリアップ郊外に移転)。現在はタイとの国境付近のカンボジア西部に埋まった地雷の撤去に力を注ぐ。アキ・ラー氏によると、タイとの国境付近にある地雷は2025年までに完全に撤去し、その後はベトナムとの国境付近にある不発弾を撤去する予定だ。
自ら地雷を埋めていたアキ・ラー氏と違い、川広さんは日本で働く会社員だった。地雷にかねて興味があった川広さんは56歳の時、アキラ地雷博物館を訪れた。当時はアキラさんのことを全く知らなかったという。しかし博物館で買った『アキラの地雷博物館とこどもたち』(アキ・ラー編著)という本を読んで、人生が一転した。
「地雷を埋めた過去を背負いながら、地雷を除去するアキ・ラーさんの使命感の強さを知った。すごい人だと思った」
訪問した翌年(57歳の時)、川広さんはアキ・ラー氏を訪ねて「ボランティアガイドをさせてほしい」と願い出た。60歳まではシェムリアップに移住し、博物館でガイドをしていたが、親の介護でいったん帰国。62歳でシェムリアップに戻った。
川広さんの活動は、博物館でのガイドとアキラ応援団の運営の2つ。ガイドは無報酬だ。生計は年金で立てている。アキラ応援団はアキ・ラー氏を資金面で継続的に援助するために設立した団体。2017年には年会費と寄付金を集めた4730ドルをアキ・ラー氏に手渡した。個人ブログも開設し、アキラ氏の地雷除去活動の様子はもちろん、カンボジアの生活情報も発信している。
2018年の8、9月にアキ・ラー氏の講演会を日本で開くことを企画している。2013年に京都、大阪、岡山、東京、福岡の5都府県で講演会を行ったが、今回は10都道府県まで増やしたいという。
今後の目標はアキラ応援団の団員を増やすことだ。会費は月1000円、年間では1万2000円だ。「今の時点では団員はだいたい50人。講演会やブログを通じて日本人にアキ・ラーさんのことを知ってもらいたい。現実は厳しいけれど、1000人の団員(年間で1200万円の支援金)を集めたい」と川広さんは夢を語る。