「恩返ししなさいよ」。これは、私が小学生のころから母に言い聞かされてきた言葉だ。最近言われたのは1週間前。カンボジア・シェムリアップ行きの飛行機に乗り遅れた私は、羽田空港でチケットを新たに買う羽目になった。ところがカード残高が足りない。急きょ母に半泣きで電話。「ごめんなさい」と謝る私に、母は「出世払いよ。大人になったら恩返ししなさいよ」と笑いながらチケットを買ってくれた。
ここカンボジアには「恩返し」に意味が近い言葉がある。「ドンコン」だ。カンボジア人いわく、人に何か良いことをしてもらったら、良いことをして返す、という行動を表す。
ドンコンの逆は「ルマルコン」。「人に良いことをしてもらったのに、何もお返ししない、または悪いことをして返す」という意味だ。日本語の「恩を仇で返す」に近い。
ドンコンに興味をもった私は、滞在先のシェムリアップで、どんなドンコンをカンボジア人がしているのかを5人に聞いてみた。返ってきた答えは、意外と“小さなこと”だった。
「自分を育ててくれた両親にいつも感謝の気持ちをもっている」(ホテルスタッフ)
「中学校の恩師にお返しとして、同級生と一緒にパーティーをする予定」(観光ガイド)
「子どもの時に母親がごはんを作ってくれたり、洗濯してくれたりしたので、働いてからは給料の一部を母親に渡している」(日本語教師)
「お母さんが入院した時、ずっと看病していた」(カフェのスタッフ)
「母の日に、お母さんが好きなたこ焼をあげた」(学生)
ドンコンは、日本人が考える「恩返し」と違って、大げさなものではない。手軽さが特徴だ。ドンコンでお返しするのはお金やモノに限らない。「ありがとう」という気持ちを心の中で言うことも立派なドンコンだ。だからいつでも誰でもどこでもドンコンができる。カンボジアの日常に溶け込んでいるイメージだ。
さらに私は、これまでの人生でドンコンを何度したことがあるのか、と質問を続けた。すると、「数えきれない」(カフェのスタッフ)、「毎日」(ホテルスタッフ)と即答だった。シェムリアップ在住の日本人男性と結婚したばかりで日本語を学習中のスーダイさんは「やってもらったことを返すのは当たり前。カンボジア人にとってドンコンは習慣」と話す。ドンコンはまさに、カンボジアの国民性を表す言葉のひとつなのだ。
日本人の一般的な感覚では「恩返し」を日常的にするのは難しい。「育ててくれた親のために、立派な人間にならなければ!」「高級なお菓子をもらったから、それに見合う気の利いたものをお返ししないと!」などと、大ごとに考えていては疲れてしまう。ドンコンのように心の中で感謝すれば大丈夫。恩返しを重く捉える必要はないのだ。
私は3月13日の昼ごろ、シェムリアップから実家に戻る。私にとってのドンコンは、「気を付けてね」とチケットを買ってくれた母のもとにまずは無事に帰り、「ありがとう」と伝えること。そう考えると、お土産は必要ないのかもしれない。ちなみにお土産はまだ買っていない。