経済発展の陰に「見えない貧困」、カンボジアで建築事故にあうとどうなるか

カンボジア・シェムリアップの建築現場。途上国では「経済成長」と「建設ラッシュ」はほぼ同時進行だ

屈託のない笑顔を見せてくれるカンボジア人。しかし実はこの中に「見えない貧困」に苦しむ人が少なからずいる。7%前後の経済成長率を続けるカンボジアでは今、建築現場での事故が相次ぐ。シェムリアップ郊外の農村で暮らすイーロン・サラさん(28)の夫は2014年、建築現場に組まれていた作業用の足場から転落。半身不随となった。イーロンさんは「私は何もできない。仕方がない」と涙ぐむ。

「夫は建築現場で働いていた。現場からある日、電話が突然入った。夫が足場から落ちて病院に運ばれたのですぐに来てほしい、と。私は急いで病院に向かった」

イーロンさんの夫は事故から3年経った今も、けがの後遺症で椅子から立ち上がることさえできない。事故の補償として勤務先から受け取ったのは、病院までの救急搬送代、レントゲンの撮影代、たった1日分の入院費だけ。「それ以外は何の補償もなかった」(イーロンさん)。夫は仕事をせず、家で療養する毎日を送る。

19歳の時に結婚したイーロンさん一家の暮らしは、夫が事故にあうまでは安定していた。夫の当時の月収は約300ドル(現在のレートで約3万4000円)。8歳と2歳の子供にも恵まれ、子供の将来の進路・学費について考えていたという。

そんな生活を一変させたのが、一家の大黒柱だった夫を襲った事故だった。家計が一気に苦しくなったため、主婦だったイーロンさんは夫に代わり、シンガポールのNGOダナアジアが経営する養鶏場・養鶏訓練所「プノンデイ・K.J・ライブストックトレーニングセンター」で働き始めた。だが月収は60ドルほど(約6900円)。家計収入は5分の1に激減した。小さな子供を抱えるイーロンさんは育児・家事をこなしながらフルタイムの仕事に就くのは困難。パートタイムで稼ぐには精一杯の収入だ。

「今は毎日を何とかやり過ごすだけ。家でもできる仕事を夫に見つけることができれば‥‥」とイーロンさんは嘆く。一番心配なのは、子供たちの今後の教育だという。

イーロンさんのようなケースは、実はカンボジアをはじめとする途上国では珍しいことではない。「隣の村にも同じような境遇の家族がいる」(イーロンさん)。これまで普通だった暮らしが事故や病気をきっかけに一夜にして困窮化する。これを「見えない貧困」と呼ぶ。社会保障が整っていないゆえに起きてしまう悲劇だ。

この問題について、高校を卒業して大学への進学を準備中のカンボジア人青年は「2つのアプローチ」が必要だと話す。

1つめのアプローチは、労災や障がい者を支援する仕組みを整備すること。行政や企業が対処していくべきものだ。もう1つは、労働者を含む住民が自らの生活を守る方法に関心をもつこと。学校や家庭で、そうした意識を高めていくことが欠かせない。

好調な経済が続くカンボジアの街を歩くと、表面的には貧困は感じられない。だが社会の奥には、とりわけ外国人には見えない貧困がまだまだ残っている。

シェムリアップ郊外にある養鶏場「プノンデイ・K.J・ライブストックトレーニングセンター」(NGOダナアジアが運営)で働くイーロン・サラさん。苦しい過去を外国人に明かすことはまれだ

シェムリアップ郊外にある養鶏場「プノンデイ・K.J・ライブストックトレーニングセンター」(NGOダナアジアが運営)で働くイーロン・サラさん。インタビュー中に苦しい過去を思い出し、目に涙を浮かべるシーンも。ただ普段は笑顔が素敵な女性だ