ミャンマー・ヤンゴンに拠点を置く日本のNGO「AAR Japan(難民を助ける会)」は、職業訓練を通じて障がい者の自立を促している。唯一の日本人スタッフが、職業訓練校の所長を務める中川善雄さん(33)だ。「もともと障がい者支援をしたいわけではなかったが、障がい者であるにもかかわらず強い意志を持って活動するタジキスタン人と出会い、自分ももっと何かしたいと思った」と転機を語る。
中川さんは立教大学理学部物理学科出身だ。卒業研究では、超新星やブラックホールをテーマに選んだ。そんな大学時代、何か新しいことをしたいとの思いでフィリピンとマケドニアで海外ボランティアに参加。フィリピンではNPO法人ACTIONで孤児院を手伝い、マケドニアでは国際ボランティア連絡会議に参加し、民族間の対立感情の緩和を目的に日本の文化紹介などを現地の学校でしていた。
マケドニアに滞在していたとき、中川さんにとって忘れられない出来事が起きた。近隣国のセルビアで民族対立のために子どもが死亡した。ところが日本に帰ってみると、この事件の報道は皆無だったという。「日本ではあまり知られていなくても、世界には困っている人がたくさんいる。その人たちを助けたい」との思いが中川さんを国際協力の道に進ませた。大学を卒業した後は日本赤十字社に就職。それからAAR Japanに転職した。
中川さんはAAR Japanに入った当初、紛争が激しいスーダンで支援することを希望していた。しかし最初に赴任したのはタジキスタンの障がい者支援を担当する事務所。その次に赴任したのも、ミャンマー・カレン州で地雷被害者を含む障がい者支援を担当する事務所だった。自分のキャリアアップのために引き受けた異動だったが、このまま障がい者支援を続けるべきかどうか悩んだ。
そんなとき思い出したのが、タジキスタンで出会った2人の活動家だった。ひとりは、アサドロ・ジクリフドエフさん。ポリオの後遺症で自ら足に障がいを持ちながら、障がい者の生活が改善されるよう、「タジキスタン障がい者連盟」という団体で活動していた。
「当時のタジキスタンでは、障がい者は保護される対象という考え方が根付き、障がい者自身もそれを当たり前と思う人が多かった。そんな中、支援を待つのではなく、自分から動き、周りの人を巻き込んでいく姿が印象的だった」と中川さんは語る。
もうひとりはローラ・ナスリディノバさん。自分の息子が自閉症だったため、自閉症の子どもの支援に特化した「イローダ」という団体を立ち上げ、現在も事務局長を務めている。タジキスタンでは自閉症はあまり知られていない障がい。ナスリディノバさんは海外での取り組みを学びながら支援していた。
当事者であるにもかかわらず、強い意志をもって活動する2人を見て、自分にはもっとできることがあると気づかされた。また障がい者を支援する団体が限られているため苦しい状況を抜けられない人たちが数多くいる現状も後押しする形で、障がい者支援を続けることを決意した。
中川さんは2014年、ヤンゴンにある障がい者職業訓練校に赴任した。所長としての業務内容は幅広い。主に、資金の調達・管理、広報、現場と日本事務所との調整、年間の活動スケジュールとミャンマー人スタッフのとりまとめなどだ。
その中でも特に力を入れているのが資金調達だ。職業訓練校は、授業料や教材費はもちろん、生徒の生活費や交通費も全額負担している。月々必要な資金は約100万円。日本政府などの規模の大きな公的助成は得られないため、そのほとんどを寄付で賄わなければならない。より広く支援、協力を得るために企業訪問を始め、新たに花王ハートポケットクラブから寄付を受けることが決まった。現在は、公益財団法人イオンワンパーセントクラブとあわせて2社が主な支援者となっている。
経済発展がこれから見込まれるミャンマーでは、企業が求める人材、技術は変わっていく。そんな状況でも手に職をつけることができるよう、随時カリキュラムの改訂をしてコースのレベルアップも進めている。中川さんは今後、アジアで障がい者を支援しながら、大学院に進み、「障がい者の就労をどう支援すれば効果的なのかなどについて勉強したい」と抱負を語る。(福田悠夏、松本恵実)