「バングラデシュからミャンマーに不法に入ってきた外国人」。こんなレッテルを貼られ、ミャンマー国内で迫害され続けるロヒンギャ(イスラム教を信仰するベンガル系の少数民族)の人たち。“祖国”であるミャンマーから危険を冒して逃れてきたロヒンギャが暮らす難民キャンプが、ミャンマー・ラカイン州と国境を接するバングラデシュ南部に点在する。ミャンマー在住1年半の筆者は4月上旬、バングラデシュ政府公認・非公認の2カ所の難民キャンプを訪れた。ロヒンギャが置かれた実態を報告したい。
■バングラ南部はミャンマーだった
「この外国人(私のこと)は何をしにきたのだろう」。訝しがる目はこう言っているように思えた。
バングラデシュ南部の都市コックスバザールの中心部から車で1時間ほど走ると、クトウパロン地区にある難民キャンプに着く。車を止めるやいなや、難民キャンプの入口周辺にぽつりと立っていた無数のロヒンギャにいきなり囲まれた。
難民キャンプの中に入るにはバングラデシュ政府や関係機関が発行する許可証が必要だ。つてもコネもない旅行者に許可が降りるはずがない。こう考えてアポなし訪問を試みていた私はこれ幸いと話しかけてみた。
「ミンガラーバ(こんにちは)」。ロヒンギャはバングラデシュの公用語ベンガル語の方言を話す。だが彼らがミャンマーから逃れてきたのならビルマ語(ミャンマー語)が少しは通じるはず。とっさに出たビルマ語の一言だったが、子どもを含め何人かが小さな声で「ミンガラーバ」と返してくれた。やはりロヒンギャ難民なのだ。
しかしあいさつ以上の会話となると難しい。私はコックスバザールで雇ったラカイン族のガイドを通して話を聞くことにした。ラカイン族はミャンマー西部のラカイン州に主に暮らし、ロヒンギャと対立する仏教徒の少数民族だ。バングラデシュ南部はかつてラカイン州の一部だったことから、ラカイン族が多い。ロヒンギャと同じくミャンマーにルーツをもつが、ラカイン族はバングラデシュに居住して長いためか、自然と地域に馴染んでいる。
■「生きていくには困っていない」
ロヒンギャの難民キャンプはバングラデシュ政府が公認するものと、非公認のものの2種類がある。バングラデシュ国内に滞在するロヒンギャは10万~30万人とされ(登録・非登録含む)、うち約4万人が暮らすのが公認キャンプのクトウパロン難民キャンプだ。
キャンプの中には竹製の骨組みをビニールシートで覆っただけの簡素な住居が密集している。日々の暮らしもきっと困窮しているのだろう、と私は想像した。ところが話を聞くと、衣食住は意外にも足りているらしい。
「食料・水・家は、国連やNGOから支援を受けられる。生きていくには困っていない」。3カ月前に小舟に乗って川を渡り、ラカイン州北部から家族(妻と子ども1人)で逃れてきたというロヒンギャの男性はこう話す。支援があるから、難民でも最低限の暮らしはできるわけだ。
公認キャンプは「バングラデシュ政府が運営」するのが建前だ。だが警備員も周囲に見当たらず、実際は場所を提供しているだけのようだった。その半面、コックスバザールから難民キャンプと国境に続く幹線道路には国境警備隊が目を光らす「チェックポイント」がいくつもあり、警備は厳しかった。国境周辺のセキュリティ強化は当然としても、難民キャンプは丸裸なのだ。
大変なこと・今必要とするものは何か、と聞いてみた。すると、そばで話を聞いていた他のロヒンギャの男性が胸の内を明かしてくれた。「困るのは仕事がないこと。ここで生活を立て直すためのキャッシュ(現金収入)が手に入らないことだよ」
ロヒンギャの多くは農業や漁業で生計を立てるが、バングラデシュ国内で働くことは認められない。運良く公認キャンプに入れたロヒンギャも法的には「不法移民」だからだ。
しかし実際には工事現場の作業員など日雇い仕事をするロヒンギャも多い。もちろん不法就労だ。「ロヒンギャは何をするかわかったもんじゃない」「治安が悪化する」。バングラデシュ人(ラカイン族含め)はこう言ってロヒンギャを煙たがるが、私が接した限りロヒンギャは凶暴でもなく、ごく普通の人たち。想像するに、キャンプ周辺の住民がロヒンギャを嫌うのは、ロヒンギャが低賃金で仕事を請け負うため地域の雇用が減ることへの「やっかみ」も関係してそうだ。
時間を持て余しているのだろう。キャンプの周囲では多くの働き盛りのロヒンギャがあたりを徘徊し、ある者はおしゃべりし、ある者は宙の一点をじっと眺め続けていた。
■難民キャンプが公認か非公認かで格差も
公認の難民キャンプとは対照的に、非公認のキャンプの状況は過酷だ。クトウパロン難民キャンプからさらに南下すること1時間、レダ地区に着いた。土埃だらけの農道を抜けると、高いレンガの壁で囲まれたキャンプの入口が姿を表した。非公認のレダ難民キャンプだ。
入口の脇にあるキャンプの管理団体(現地NGO)を訪れ、「私は日本の援助関係者だが、中を見せてもらえないか」と職員にお願いすると、責任者とかけあってみるとのこと。だが結局ここでも許可証の壁があり、内部に入れなかった。
せめて中で暮らすロヒンギャと話ができないものか。入口から覗いていると、幸いなことに支援団体が飲料水を配り始めた。ロヒンギャたちはキャンプの外に出て、順番待ちの列を作りだした。話をするなら今しかない。躊躇するガイドを呼び、ベールを被った子連れの女性に声をかけてみた。
「顔の写真を撮らないなら話をしてもいい」。開口一番こう言ったロヒンギャの女性は今年(2017年)になって家族でバングラデシュに渡ってきた。「(ミャンマーの)軍と警察に殺されかねないからこっちに来た。逃げる最中に捕まった知り合いもいる。バーン!バーン!」。女性はこう銃を打つマネをした。
ことの顛末はこうだ。 2016年10月にミャンマー・ラカイン州の国境検問所が襲撃され、警官が多数殺された。ミャンマー国軍はこれをロヒンギャによる犯行と断定。「報復」としてラカイン州北部を中心にロヒンギャの村を焼き討ちし、住民を虐殺・レイプするなど“一掃作戦”に打って出た。2016年末~2017年2月に7万人近くのロヒンギャがバングラデシュに逃れたといわれる。この女性もそんな一人のようだ。
支援には満足しているか、と聞いてみる。「食料や住居など限られた支援しかない。(バングラデシュ)政府公認のキャンプなら子どもたちも学校に行けるのに」。女性は公認キャンプとの「格差」に不満を隠さなかった。
非公認キャンプでは、海外の援助機関はキャンプ内で支援活動することが認められない。支援するのはもっぱら現地のNGO。海外の機関は資金援助が精一杯だ。ラカイン族のガイドは「バングラデシュ政府は、ロヒンギャがこのまま増え続け、国に定住するのを恐れている。だからこれ以上の支援を認めようとはしない」。
■バングラ政府はロヒンギャを「島流し」
難民キャンプによって支援の差こそあれ、バングラデシュ国内のロヒンギャが置かれる「立場」が不安定なのは変わりない。バングラデシュ政府は1992年以降、ミャンマーから逃れてくるロヒンギャに「難民」としての身分を与えていない。国境周辺の警備を強化し、新たに避難してくるロヒンギャを強制送還しているのだ。
「ロヒンギャをこれ以上受け入れ続けるのは負担でしかない。避けたい」。これがバングラデシュ政府の本音だろう。そんなさなかバングラデシュは2015年、同国内の離島へロヒンギャ難民を「移住」させる計画を発表した。港の整備にもすでに乗り出した。ロヒンギャを「島流し」にする気か、と人権団体から避難を浴びたこの計画もバングラデシュ政府としては苦渋の決断だったに違いない。
2016年に文民政権が発足したミャンマーでも、アウンサンスーチー氏率いる政府は「ロヒンギャはバングラデシュからの不法移民」との立場を前政権から引き継ぐ。バングラデシュに一度逃れたロヒンギャが再びミャンマーで安心に暮らすことはかないそうもない。
祖国ミャンマーからは国民として扱われず、避難先のバングラデシュでも身分は保証されない。国家を漂流するロヒンギャたち‥‥。「ミャンマーには家族も親せきもいるけれど、戻れるとは思っていない。一生ここで過ごすしかない」。こう口にするロヒンギャもいたが、バングラデシュ国内で一生暮らせる保証はない。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)をはじめとする国際機関はかねて、ロヒンギャ問題の解決に向け、バングラデシュ・ミャンマー両政府に働きかけてきた。マレーシア、インドネシア、タイなど近隣各国に対しても、ロヒンギャの保護・庇護を求め続ける。しかし恒久的な受け入れ先は見つからない。ミャンマーが世界から注目される陰で、テイクオフした経済成長の恩恵を受けられないどころか、ますます追いやられる民族がいることを忘れてはならない。