カンボジアのシェムリアップ市中心部から車で1時間。ノコー・クラヴ村では、家の庭に実るパパイヤやバナナを近所におすそ分けしたり、仕事で忙しい親せきのために料理を作ったりする「シェア文化」が根強く残っている。コミュニティ全体で余ったものを融通しあい、足りないものを補いあう。信頼に基づいたシェア文化の真骨頂は、法律や制度がなくてもコミュニティの課題を解決できる側面もあることだ。
■土地の登記がいるのは信頼のなさの裏返し?
どこまでも広がる農地。ノコー・クラヴ村にある農地の所有者は何人もいるが、境界は見当たらない。「農地は政府に登記されていないよ。でも土地は代々親から受け継がれているので、誰のものなのかはだいたいわかる」と村人は言う。自分の土地だと証明するのは木の柵だけだ。
といっても、所有の概念がないわけではない。ノコー・クラヴ村に住む高校生のポスくんは言う。「隣の家の庭になっている木の実を食べるときは必ず許可をとる。さもないと互いの『信頼』が失われるから」
日本では土地を取得すると同時に登記するのが常識だ。ただ見方を変えれば、登記とは、自分の土地を悪人から守る手段。信頼関係が強固な社会(典型的な例が家族)では必ずしも必要でないのが法律・制度といえるだろう。
■食べ物を分ければ捨てなくて済む!
村の家の庭にある定番の木のひとつがパパイヤだ。パパイヤは一本あたり数十個の実をつける。一家で食べきれないこともざらだ。しかし放っていては腐らせるだけ。隣近所に配ることで、パパイヤを無駄に捨てなくて済むことになる。
日本ではかねてから、ごみ問題が深刻だ。日本政府広報オンラインによると、食品の年間廃棄量である2800万トンの5分の1以上に当たる約630万トンは食べられる。食料廃棄の問題を日本はごみ袋を有料化するなどして解決を目指している。だがもし食べ物を気軽にシェアできれば、無駄が減る可能性は低くない。法律・制度を作って運用するのも、複雑な日本社会では必要だが、シェア文化も有益といえそうだ。
■親せきのために料理を作る
シェムリアップ近郊の農村では共働きの家庭も多い。妻が仕事で忙しければ、手の空いている親せきが料理を作って、一緒に食べる。親せき同士で家事をシェアすること、それが働く女性の下支えにつながる。ノコー・クラヴ村の場合、法的な仕組みはないが、ベースにあるのは助け合い(労働のシェア)だ。
共働きの夫婦が多いのは日本も同じ。日本の制度では、妻は、育児休暇を最長2年とれる。この間は、給料の7~8割分(6カ月目からは5~6割分)の育児休業給付を受けながら育児や家事に専念できる。だが仕事に復帰してからも家事や育児は続く。子どもが熱を出せば、家事を手伝ってくれるヘルパーが必要。子どもの健康を考えれば、すべてを制度でカバーするのは事実上、不可能に近いといえなくもない。
ノコー・クラヴ村には実は4~6歳の子どもが通う幼稚園がある。ただここは文字の書き方を教えるのが目的。働く女性のために子どもを預かってもらうためではない。
日本では、保育園の不足による待機児童の多さが社会問題となっている。だが保育園が足りなくなる背景には、コミュニティ全体で子どもの面倒を見る意識が欠けていることも関係している。保育園を作れば、病児保育の問題も含め、すべてが解決できるわけではない。
■大人が子どもにあいさつする!
ノコー・クラヴ村の大人は、近所の子どもを見かけると「今日はどこに行くの?」と声をかける。子どもが不愛想に答えると、「年長者への尊敬が足りない」と大人は怒るという。大人は常に、コミュニティの子どもを気にかける。あいさつがコミュニティの土台となるのだ。
日本はどうだろう。大人が子どもにあいさつすることさえほとんどない。これは言ってみれば、コミュニケーション不足から、コミュニティレベルで子どもを保護できなくなることを意味する。その結果、近所で児童虐待が起きていても防げない、気づかないケースを生む。
必要なのは、住民に通告義務を定め、警察や学校の教職員に児童虐待を早期発見させる「児童虐待防止法」そのものではない。法律を制定する前に、子どもの様子を見守るコミュニティを機能させることが先決だ。法律ですべてを解決するには限界がある。
法律や制度に頼り切った日本社会と、コミュニティのシェア文化に立脚したカンボジア社会——。日本が社会問題を解決できるようになるカギは、人間関係を見つめ直すことにあるといえそうだ。