ゲリラとの和平合意は本当に平和をもたらしたのか? コロンビアに蔓延する“見えない暴力”の犠牲者たち

写真の右端がアナセリ・ヒメネスさん(コロンビア・メデジンの「コムナ13」で撮影)。中央はコロンビア人通訳のアレハンドロさん

ゲリラによる“銃の暴力”から、政府による“見えない暴力”へ――。コロンビア政府と武装左翼ゲリラ「コロンビア革命軍(FARC)」が2016年11月30日に和平合意を交わしてからおよそ1年半。平和ムードが漂うなか、和平合意の恩恵にあずかれず、今もなお苦しい生活を強いられるコロンビア国民の姿を追ってみた。

土地が奪われる

見えない暴力の1つめは、FARCに奪われた土地を返してもらえないことだ。和平合意の成立を受け、農民や先住民らは「内戦中にFARCに奪われた土地を取り戻せ」と、コロンビア政府に対して土地の返還を求めてきた。ところが政府は天然資源の存在を理由に農民らの要求を拒否。それどころか、「政府に歯向かう農民を、内戦中にコロンビア政府と協力関係にあった右翼民兵組織パラミリタレスの元戦闘員を使って殺すケースもある」(コロンビア第2の都市メデジンにある、コロンビア唯一の公的な内戦博物館の職員)という。

これだけではない。ゲリラの社会復帰を目的に、コロンビア政府が先住民の土地を取り上げることもある。メデジンからバスで4時間ほど走った山の中で暮らすエンベラ・チャミ族のアマンダ・ゴンザレスさん(50)は「(コロンビアの)サントス大統領はFARCとの和平プロセスを進めるために、インディヘナ(先住民)の土地を元ゲリラ兵に与えると言い出した。サントス大統領は信用できない」と疑念を抱く。

補償額は月2万円

見えない暴力の2つめは、内戦で受けた被害に対する補償が不十分なことだ。メデジン最大のスラム街とかつていわれた「コムナ13」に、内戦を逃れて住み着いたアナセリ・ヒメネスさん(47)は「和平合意で戦闘が見られなくなったのは良いこと。でも生活は相変わらず厳しいまま」と打ち明ける。

コムナ13に入り込んでいた左翼ゲリラ(FARCなど)を掃討する「オリオン作戦」をコロンビア軍と米軍が合同で決行したのは2002年10月16日のこと。戦闘に巻き込まれて命を落とした一般市民は10万人近くにのぼるといわれる。ヒメネスさんも、コロンビア軍のヘリコプターが投下したガス爆弾できょうだいを失った。

内戦で故郷と家族を失ったヒメネスさんが政府から受け取っていた補償額は、3カ月ごとに170万ペソ(約6万3000円)だった。しかし頼みの綱だったその補償金の支給も2013年にストップした。ヒメネスさんは再支給を求めて何度も行政に電話をかけたが、電話にすら出てもらえなかったという。直接出向いてお願いしても、「待ってろ」と言われるだけで埒が明かない。

ヒメネスさんは現在、コムナ13の自宅を使って軽食を売る日々を送る。生活は厳しい。「キッチンとベッドの隙間が人ひとり分しかないような狭いアパートでの生活にはうんざり。早くもっと良い家で暮らしたい」とこぼす。

メデジンにある国内避難民居住区。200人以上が暮らす

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