「バイクのことなら任せろ!」 カンボジア・激動のポル・ポト時代を生き抜いたバイク修理屋、強運で切り開いた人生

クールに見えるキウ・コンさん。カメラを向けると、チャーミングな笑顔を見せてくれた(カンボジア・シェムリアップで撮影)

カンボジア・シェムリアップにある人気のバイク修理屋を営むキウ・コンさん(55)。彼は、1975~1979年にポル・ポトが支配した激動の時代を、数々の幸運に恵まれ、生き抜いたひとりだ。

彼の一家はポル・ポト時代、コンポントム州で農業を営んでいた。ポル・ポトの政策で都市から農村に約200万人強制移動させられ、元からいた住民(旧住民)から激しい差別を受けた。だがキウさんは違った。「都市から来た人たちは、村人に逆らえばすぐに殺されていた。けれど旧住民の私はひどい差別は受けなかった」と当時を振り返る。

ポル・ポト支配が終わった後に突入した内戦の時代、打倒ポル・ポトを掲げたヘン・サムリン政府軍にキウさんは徴兵されたが、運良く兵士の調理係に回された。そのため戦場に行かずに済み、命拾いした。その間、調理スキルを身に付けることができたという。

キウさんは内戦終結後、料理の腕を買われ、シェムリアップのレストランでコックとして雇われた。「だが薄給で生活は苦しかった」(キウさん)。そんな折、趣味でやっていたバイク修理が知人の間で評判となる。「自分には修理の才能がある」と考え、レストランの仕事と並行し、副業としてバイクの修理をするように。1992年、29歳の時だった。

バイク修理のプロに3カ月トレーニングしてもらい、1996年、念願の自分の修理屋を立ち上げた。それから22年、バイク修理一筋だ。多くのバイク修理屋が周りにあるにもかかわらず、キウさんの店は大評判だ。気に入って通い続けて6年になる客のひとりは「キウさんの腕はぴか一。だからここにしか来ない」と絶大な信頼を置く。

キウさんが気を配るのは、修理に使う部品の種類を顧客の予算に合わせること。10ドル(約1100円)なら日本製に、5ドル(約560円)なら中国製というふうに使い分ける。ただ修理機材はすべて日本製だ。「日本製しか使わないよ。クオリティがいいからね」とこだわりを見せる。

「何でも直せる自信があるよ!」と自慢げに語るキウさんの元には、1日30人前後の客が訪れる。1日の売り上げは10~50ドル(1100~5570円)、多い時には80ドル(約8920円)にもなるという。ちなみに、カンボジアの1カ月の最低賃金(繊維産業)は170ドル(約1万8900円)。

「俺の娘は大学に通っているんだ」と胸を張るキウさん。バイク修理でのもうけは、大学進学率10%といわれるカンボジアで、娘を大学に入れさせ、学費を払うことができるほどだ。強運とバイクへの情熱が、キウさん一家の豊かな今を作りあげた。(松浦幸司、西村知紗里)