フランスから西アフリカ諸国が独立しておよそ60年。「西アフリカ諸国はいまだにフランスの支配から抜け出せていない。これからの時代はアフリカ人がアフリカ発展の中心にいるべきだ」。こう熱弁を振るうのは、日立製作所に6年勤めたベナン人で、西アフリカ・ベナンと日本に拠点をもつ会社「アフリカネットワーク」のゾマホン・スールレレ社長だ。
フランスが西アフリカ諸国をいまだに支配している象徴が、フランス語圏の西アフリカ8カ国で使われる共通通貨「CFA(セーファ)フラン」だ。CFAとは「アフリカ金融共同体(Communaute Financiere Africaine)」の頭文字をとったものだが、植民地時代の略は「アフリカのフランス植民地(Colonies Francaises’d Afrique)」だった。
CFAフランの中央銀行はセネガル・ダカールにある。ゾマホン氏は「中央銀行のトップは確かに黒人。だが上層部のフランス人には、中央銀行で何かを決める際に発動できる拒否権がある。これではCFAフランによるフランス支配はなくならないよ。ベナンには独自の通貨が必要だ」と語る。
フランス支配の影響は、西アフリカの経済発展を遅らす要因にもなっている。ゾマホン氏は「西アフリカ諸国の大統領はいつも、(アフリカが損をして)フランスが得するような政策ばかりとりたがる。なぜなら大半の西アフリカ諸国の大統領はフランスに銀行口座をもち、フランスに不都合な行動をとるものなら、資産が凍結されてしまうからだ」と説明する。
他の地域に比べると、お世辞にも経済発展しているとは言い難い西アフリカ諸国。こうした国々は先進国の援助に依存しているという現状がある。これについてゾマホン氏は「援助は要らない。援助してくれるぐらいなら、核爆弾をくれたがよっぽどいい。核爆弾をもてれば、フランスはアフリカに命令できなくなる。アフリカは対等な立場で物事を言えるようになるんだ」と主張する。
ゾマホン氏は当然、援助がなくなれば痛みが伴うことを承知している。だがあえて言う。「中国では国内の企業が架けた橋は過去に何度も落ちた。でもこの痛みを乗り越えたからこそ、いまの中国があるのではないか」
ゾマホン氏は、数年前にベナンに戻ってくるまで、日本の日立製作所で働き、東南アジアのプロジェクトを担当していた。だがある日、おじのゾマホン・ルフィン駐日ベナン大使(当時)に同行して、日立製作所の社長に会うチャンスを得た。その際、「西アフリカでは橋やビル、道路の建設が進んでいる。これを世界一の品質を誇る日本の企業でつくりたい。西アフリカ出身の私が担当すれば、良い仕事ができる」と日立製作所の社長に直談判したという。
ところがその希望は実現しなかった。ゾマホン氏は周囲の反対を押し切って日立を退社。故郷ベナンに戻ってきた。
退社した翌年、ゾマホン氏は、西アフリカと日本をつなぐ架け橋になることを目指す会社アフリカネットワークを設立した。いまは日本の中古タイヤをベナンやセネガルに輸入し、売る。だがゾマホン氏がやりたいのはタイヤの販売ではない。タイヤビジネスはあくまで生活費を稼ぐのが目的だ。
ゾマホン氏が本当にやりたいことは、ベナンの最大都市コトヌーに、最先端の機器をそろえ、最新技術に興味をもつやる気のあるベナン人の若者と、彼らにノウハウを教えたい外国人が集う場所を作ること。「両者が出会うことで新しいビジネスがきっと生まれる」。援助ではなく、アフリカ人と外国人が一緒にビジネスをどんどん立ち上げることで、フランスの支配から脱却できるとゾマホン氏は信じている。
「何年、何十年かかってもいい。西アフリカがフランスの支配から“独立”するための流れを作りたい」。アフリカの真の独立にゾマホン氏は人生を捧げている。