同じ町なのに川の南北で民族がくっきり分かれる! コソボでアルバニア系とセルビア系は共生できるのか

コソボ北部の町ミトロヴィツァのセルビア系居住地域(イバル川の北側)のメインストリートにずらりと並ぶセルビアの国旗

ソボの北部に民族対立を象徴する町がある。人口約7万人の「分断の町」と呼ばれるミトロヴィツァだ。町の中央を流れるイバル川の南にアルバニア系、北にセルビア系の住民がそれぞれかたまって住む。この川は両民族にとって物理的・イデオロギー的な境界線となっている。国内の多数派であるアルバニア系住民の間では、セルビア系住民に対して嫌悪感を抱く声はまだまだ多い。2つの民族は共生できるのか。

■2つの言語と2つの通貨

コソボ紛争が1999年に終結してからもミトロヴィツァでは、アルバニア系とセルビア系の住民同士の武力衝突が繰り返されてきた。衝突を避けるため、北側に住んでいたアルバニア系住民のほとんどが南側へ、南側のセルビア系住民は北側へと避難していった。

その結果、イバル川の南北で住民が話す言葉が異なるようになった。南側はコソボの公用語であるアルバニア語。北側はセルビア語だ。

北側のメインストリートには、コソボ国内であるにもかかわらず、セルビアの国旗がずらりと掲げられる。セルビア語で「ドバルダン」(こんにちは)とあいさつするとドバルダンと返ってくる。

驚くことに使う通貨まで違う。南側はコソボが採用するユーロ。北側はセルビアの通貨ディナールだ。スーパーマーケットの商品やレストランのメニューの価格も、それぞれの通貨で表示する。

南北を分断するイバル川には、同じ国とは思えないほどの緊張感が漂う。両岸を結ぶ主な橋は3つあり、そのひとつで、町の中心部に架かる橋は歩行者専用だ。橋の入り口にバリケードが敷かれ、北大西洋条約機構(NATO)指揮下のコソボ治安維持部隊(KFOR)が橋の両側に駐留している。

往来する人はそれほど多くない。北側に住む、大学職員でセルビア系のナターシャさん(仮名、45)は「アルバニア人が襲ってくるのが恐くて南側には行けない。投石されることもあると聞いた。私たち(セルビア系)は本当に良い人ばかりなのに、アルバニア人から嫌なことをされる」と怖がる。

イバル川にかかる橋。バリケードが敷かれる。南側にも鉄柵が置かれる (コソボ・ミトロヴィツァの北側から撮影)

イバル川にかかる橋。バリケードが敷かれる。南側にも鉄柵が置かれる (コソボ・ミトロヴィツァの北側から撮影)

■「セルビア政府が嫌いなだけ」

両民族の対立は、ミトロヴィツァだけではなく、コソボの首都プリシュティナでも顕著だ。

「セルビア製品をボイコットしよう」。こんなシールが貼られた信号機が首都プリシュティナの幹線道路にはある。文字は、赤信号になると浮かび上がる。地元の人によると、信号待ちの運転手に見せることで、「セルビア製品は買っちゃダメだ」と思い込ませる狙いのようだ。アルバニア系住民らは実際、2014年にはセルビア製品の不買運動を起こした。

プリシュティナで八百屋を営む男性(48)は「セルビアとはもう戦争したくない。でもだからと言って、(セルビア系住民と)仲良くしようとも思わない」と心情を明かす。セルビアとコソボの対立を長年間近で見てきた世代ではこうした意見が多数派だ。

だが一方で、両民族の壁を取り払おうとする声もある。

プリシュティナ大学に通う21歳の女性は「私たちはセルビア系を嫌っているんじゃない。セルビア政府が嫌いなだけ。ここにセルビア系がいても、なんてことないよ。(アルバニア系の)若い世代は、セルビア系とかかわることに抵抗はない」と話す。

だがセルビア系住民はなぜ、アルバニア系住民から風当たりが強いコソボに住み続けるのだろうか。ナターシャさんは「セルビアに移り住めば、問題は解決するのかもしれない。だれど、生まれ育った土地を離れるのは難しいことなのよ。私はミトロヴィツァが大好き。ずっとここに住んでいたい」と語る。

コソボは、ユーゴスラビア連邦内のセルビア共和国の自治州だった。1998年、コソボ自治州(現在のコソボ)の独立を目指すアルバニア系勢力と、ユーゴスラビア軍・セルビア系勢力との間でコソボ紛争が勃発。NATOの介入で紛争が終結した後、2008年にコソボが一方的にセルビアからの独立を宣言した。日本を含む約110カ国がコソボを国家として承認する一方で、セルビアやロシア、中国、スペイン、ギリシャなどは承認していない。

「セルビア製品をボイコットしよう(bojkotoni produktet e serbisë)」とアルバニア語で書かれたシールが貼られた信号機(コソボ・プリシュティナで撮影)

「セルビア製品をボイコットしよう(bojkotoni produktet e serbisë)」とアルバニア語で書かれたシールが貼られた信号機(コソボ・プリシュティナで撮影)