ミャンマーの言論弾圧の現場から、世界が注目する「ロイター記者裁判」を傍聴してみた

被告となったチョーソーウー記者(7月17日、撮影:茂野新太)

「ふざけるな。こんな判決、許されるわけないだろう」。うなりを上げるトラックのボンネットに、50人を超えるジャーナリストらが覆いかぶさり、窓を殴って怒号を上げていた。2018年9月3日、ミャンマーの最大都市ヤンゴンの裁判所で、ロイター通信の記者2人が国家機密法違反で禁錮7年の有罪判決を受けた。閉廷後、裁判所の西門で2人を乗せて裁判所を離れる警察のトラックは、立ちふさがる群衆をひかんばかりの勢いで突き進んだ。2人の記者は荷台の座席から、親指を立て闘志を示すジェスチャーとともに笑顔も見せる。だがそれもつかの間、トラックは拘置所を目指して走り去った。

およそ1年前にさかのぼる2017年12月12日、ミャンマー警察当局は、イスラム教を信仰するベンガル系住民ロヒンギャが多く暮らすラカイン州の情勢を取材中だったロイター通信のワロン記者とチョーソーウー記者を、機密文書所持による国家機密法違反の疑いで逮捕した。その日、警察官に食事に誘われた2人は、同席した警察官から問題の文書を受け取ったが、飲食店を出た直後、他の警察官に逮捕されたのだ。

そうしたなか2018年4月の予備審問で、1人の警察官が「事件は警察の罠だった」と証言。記者2人の無罪放免を求める声が高まっていた。だが9月3日、2人の記者の有罪判決がくだり、諸外国はミャンマー政府への批判を強めた。11月5日、記者2人の弁護士が上訴し、後日認められたため、上訴審を待ちながら事件は現在に至る。

ミャンマーの刑事裁判は、予審審問、公判と2段階で進む。筆者は今回、ヤンゴンの北に位置するインセイン裁判所で執り行われた第一審の予備審問最終日と公判2日目、そして判決の日を取材した。

7月9日、初めて法廷を訪れたのは、予備審問の最終日だ。これまでの予備審問の期間で提示された証拠を踏まえ、裁判官が最終的に起訴をするか否かを決定する日だった。簡素な木のベンチとプラスチックの椅子が並ぶ蒸し暑い傍聴席は、すぐに肩が触れ合うほどの40人ほどの傍聴人で満席になった。重々しい黒の法服をまとい、ガウンパウンと呼ばれる黄色いミャンマーのターバンを巻いた裁判官、検察、弁護士が入廷。最後に3、4人の警察官に囲まれた2人の容疑者(記者)が入ってくると、廷吏が開廷を宣言し、傍聴席の話し声も静まった。

2人の容疑者は、堂々と落ち着いた口調で裁判官の質問に答えていく。だが20分ほどやりとりが続いた後、正式起訴の決定が下され、事件は公判へと進んだ。2人とも「記者の倫理に従って仕事をしていただけだ」と、罪状は認めず、最後まで争う意志を見せた。

法廷で闘う仲間を見守っていた10人ほどのロイター通信の記者は、起訴の決定を聞くと失望と怒りの声を上げた。2人が再び拘置所に連行されていくなか、同僚らは「君たちが帰ってくるのを待っているよ」と声をかける。励ましの言葉を受けたワロン記者は、手錠にとらわれた拳の親指を上げる、彼のトレードマークともいえるジェスチャーで「ありがとう」と笑顔を見せた。

7月17日、公判の2日目に改めて法廷を訪れると、小さなドラマが垣間見えた。この日はチョーソーウー被告の娘の3歳の誕生日。4時間に及ぶ長丁場のかたわら、2人の逮捕以来この事件を追ってきたロイター通信の記者やカメラマンたちが、娘に誕生日ケーキを贈ったのだ。審理のたびに法廷に通っているチョーソーウー被告の妻と娘は、すでにジャーナリストらと顔なじみ。妻がその場のみんなにケーキを配ると、重苦しい空気が漂う裁判所に、一瞬、笑顔があふれた。

傍聴席の最前列中央に目を向けると、ぽっかりと誰も座ってないスペースが空いていた。容疑者2人の妻と、チョーソーウー容疑者の2歳の娘のために、暗黙の了解で空けてあるのだ。法廷と傍聴席の間の柵のすぐ向こう側に座るチョーソーウー被告は、振り返っては妻とささやき声で話し、娘をあやしていた。日本の裁判所では、被告と傍聴席のコミュニケーションは禁止されているが、監視役のミャンマーの警察官は、束の間の家族の時間に水を差すようなことはしなかった。

9月3日、有罪判決が下った。刑は7年の禁固だ。警察の謀略を自供した警察官の証言は、2018年4月の予備審問では証拠として認められたにもかかわらず、最終的に「信頼できない」と退けられた。筆者の耳にははっきりと届かなかったが、判決言い渡しの直後、ワロン記者は法廷で「私は間違ったことをしていない。正義と民主主義と自由を信じる。何も恐れることはない」と傍聴に来た記者や同僚らに訴えたという。

警察のトラックが記者2人を乗せて裁判所を出ていく前にはジャーナリストたちが詰めかけ、「これが民主主義か」と怒鳴る。2人の記者を弁護したキンマウンゾー弁護士は「2人を解放するために、あらゆる手段をとる」と強く述べた。

2011年のテインセイン政権の登場で軍政から民主主義へと舵を切ったミャンマー。これにより新聞の検閲は廃止されたが、いまだに報道機関への風当たりは強い。2018年現在、アウンサンスーチー国家顧問が実質的に率いる体制の下でも多くのジャーナリストが投獄されている状況だ。司法の独立も不十分で、軍や政治家の力が裁判に影響を及ぼすといわれている。世界が次の上訴審を見守るなか、ミャンマーの司法はどんな判決を下すのだろうか。

裁判所を去るトラックの前に立ちふさがるジャーナリストら(9月3日、撮影:茂野新太)

裁判所を去るトラックの前に立ちふさがるジャーナリストら(9月3日、撮影:茂野新太)