【ウガンダ難民物語①】ムセベニ大統領は世界最悪の独裁者だ! 私が故郷を脱出した理由

ウガンダ難民のムテゲキさん(東京・新宿で撮影)。妻や子どもと離れ、東京で一人暮らしする

「ウガンダのムセベニ大統領は世界最悪の独裁者だ」。これは、1990年代から反ウガンダ政府運動を続けてきたウガンダ人ムテゲキ・ニコラスさん(42)の言葉だ。ウガンダ政府から迫害を受けるようになったムテゲキさんは2008年、日本へ逃れてきた。ここ10年で3度、日本で難民申請を繰り返してきたが、認定されないどころか、就労許可も下りない。ウガンダ難民の実情を明るみにする連載「ウガンダ難民物語」の第1回のテーマは「ムセベニ大統領は世界最悪の独裁者だ! 私が故郷を脱出した理由」。

「えっ、日本行き?」。ケニアやタンザニアなど隣国への入国ビザ(10年前はアフリカ域内でもビザが必要だった)がとれることを希望していたムテゲキさんは意表を突かれた。言語も文化もよく知らない遠くの国への逃亡に不安を感じたが、ブローカーが手配できるのは日本だけ。命を狙われ、ウガンダ国内に居場所のない彼に選択肢はない。1万ドル(約108万円)の大金をブローカーに払って、パスポートの手配から、怪しまれないための服装や立ち居振る舞いまで、すべて言われるままに従った。スムーズな渡航だったという。2008年10月、こうして彼は日本に逃亡してきた。

ウガンダでは1986年以来32年にわたって、ヨウェリ・ムセベニ大統領(73)の独裁政治が続く。ツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアの使用は制限され、政府にとって不都合な情報は国民に届かない。ムセベニ政権を批判した場合は軍に拉致、拷問、殺害される。自由がない状況を変えたい、とムテゲキさんは学生時代から、ウガンダ国内の最大野党「民主変革フォーラム(Forum for Democratic Change=FDC)に所属し、デモに参加しては政府を批判する演説を行ってきた。

「日本やアメリカの政府は、ウガンダ政府を公的資金(ODA)で支援しているが、そのほとんどはムセベニのポケットマネーになる」とムテゲキさんは憤る。海外からの援助は本来、インフラの整備や教育水準の向上のためなど、国民のために使われるべきものだ。だがムセベニ大統領は軍備の拡充や大統領車の購入に使う。医療、福祉、教育の質は下がる一方。首都カンパラにある名門マケレレ大学もかつての栄光はない。失業者も増え続けている。

ムテゲキさんは反政府活動していることを理由に2006年に2回、2007年と2008年に1回ずつ、合計4回逮捕され、数週間にわたる拷問を受けた。捕まるたびに保釈金3000ドル(約32万5000円)を払い、戻ってきては政府批判を繰り返していたという。

実は、ムテゲキさんは首都カンパラの裕福な家庭の出身だ。大学を卒業した後、食材や木材の運搬ビジネスを始め、成功を収めていた。「金銭的には余裕があった。だから逮捕されても保釈金は払えた」

しかし2008年ごろからはお金で解決できなくなってきた。軍から命を狙われるようになったのだ。「政府批判の集会に参加したとき、突然目の前が真っ暗になった。軍人に背後から目隠しをされ、車に押し込まれ、まったく知らない場所に連れて行かれた」。死を覚悟したという。

幸運にも、ムテゲキさんのおじが軍の上層部にいたため、そのコネを使って、命からがら逃げることができた。だがウガンダにはもういられない。ムテゲキさんは故郷を離れ、日本で難民となった。(つづく)