「感染症対策プロジェクトを始める前に、その予算の5%ほど(2億円のプロジェクトなら1000万円)をかけて、しっかり事前調査をすれば効果が高まるだろう」。事前調査の重要性をこう語るのは、国立国際医療研究センター(NCGM)の蜂矢正彦医師だ。蜂矢医師は2012年、B型肝炎の有病率をラオスで調べる際に「クラスターサンプリング」という方法を使った。その結果、有病率は予想よりはるかに低いことがわかったという。
■たった10日で調査が終了
クラスターサンプリングとは、予算や時間に制限があり全数調査ができない時に、調査対象のすべてではなく、母集団(全体)の一部を調べることで全体の特徴を推定する標本調査のひとつだ。調査対象をまず、村や集落などの小集団「クラスター」に分ける。クラスターを無作為に選んだうえで、それぞれのクラスターのなかで無作為に選ばれた人たちを調べる。選挙での当選予想や商品の人気調査などでも採用される方法だ。
「調査対象が1000人を超える場合、クラスターサンプリングを使って調べるのが一般的」と蜂矢医師は言う。対象のすべてを調べる全数調査や完全に無作為に調査対象を直接選んで調べる単純無作為サンプリングと比べて、クラスターサンプリングは時間と手間が省けるからだ。蜂矢医師がラオス全土でB型肝炎の有病率を調べたときも、データ収集は10日間(現地の準備とおおまかな結果のまとめを含めると1カ月)で終えられたという。
ただクラスターサンプリングにも課題はある。それは、クラスターごとに特徴に偏りがあるため、多くのクラスターを訪問して調査の信頼度を上げる必要があることだ。蜂矢医師によると、信頼できるデータを得るためには30クラスター以上を訪問するのがポイント。例えば、実際に調査する人数を1000人とした場合、2クラスター×500人とするよりも、40クラスター×25人とした方が安定した結果が得られやすい。
■インフラ未整備の国でも使える!
クラスターサンプリングを採用して、効果を挙げたのが2012年1~2月にラオス全土で実施したB型肝炎調査だ。
ラオスのB型肝炎の有病率は、以前は人口の10~15%といわれていた。ところが蜂矢医師が全国調査したところ、推定有病率は5~9歳の子どもで1.7%、妊娠可能年齢(15~45歳)の母親で2.9%と予想以上に低いことが判明した。
この調査結果を受け、ラオス保健省はB型肝炎対策のために配置する助産師の数を増やす当初の計画を撤回し、他の優先課題に力を注ぐことになった。
クラスターサンプリングのメリットは、広い地域(ラオスのケースでは全国)を代表する値が得られるため、政策を変える力があることだ。ラオスのようにインフラが整っていない国ではこれまで、数億円かけなければ正確な調査をすることは不可能だといわれてきた。ところが蜂矢医師の調査は、クラスターサンプリングを使えば、インフラ未整備の国でも数百万円程度で政策を考える上で有益な結果が得られることを証明したと言える。
■結果を政策に反映させるためには?
難しいのは、たとえ信頼できる調査をしても、必ずしもその結果が政策に反映されるわけではないことだ。
蜂矢医師は「調査結果を調査国の保健政策や国際保健事業に活用してもらうには、計画段階から相手国の保健省やWHO(世界保健機関)、UNICEF(国連児童基金)などと協力して調査することが大事だ」と話す。ラオスでは保健省との共同事業としてB型肝炎調査をしたため、政策の変更につながった。またWHOと協力していたためにアジア地域の予防接種対策、肝炎対策にも貢献できたとする。
対照的だったのは、蜂矢医師が2014年にベトナムで実施した糖尿病の調査。調査が終了した後に結果をベトナム保健省に報告したものの、計画段階でうまく協力し合えなかったため、同国の糖尿病対策に直接影響を与えることにならなかった。
蜂矢医師は次の目標は、クラスターサンプリングを用いて低中所得国において麻疹(はしか)が排除できない原因を探り、有効な対策を立てることだ。「麻疹は何十年も前からワクチン接種で対策をしているのに、なぜ排除できないのか。何かが間違っているからだろう。麻疹の予防接種を受けた子どもたちの何%が麻疹に対する免疫を持っているかを調べれば、ある程度原因がわかるかもしれない」と予想する。
「1000万円程度の予算でしっかり調査することで、数億円規模のプロジェクトの効果が高まるようにデザインすることができるならば、数年ごとにきちんと調査する価値はある」と蜂矢医師は力説する。